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 昨日県庁でありました。 僕が気づいて挨拶をできた方は、安西先生とぽん太の誠ちゃんご夫婦、ロータリーの岩尾さん、隈田さんらでした。どうも来てくださりありがとうございました。 本当にうれしかったなあ。 他にもこのブログ愛読者の方もおられたでしょう。欠礼してしまった方、ごめんなさい。 講師らとの打ち合わせなどで出たり入ったりで、しっかりお出迎えできませんでした。 申し訳ありません。
 僕の今回の講演会への思いは、自分が理事長就任後はじめての大分市での会であること、講師の岡本さんとは10年来の被害者支援の同志であること、その岡本さんとの受け入れ準備がうまくいかなかった面があり、大分駅での30分あまりの出迎えさえうまくできず、胃の痛みがずっと継続したこと、等々、後から振り返ると、なーーんだ、と言うようなことですが、最悪を予想して講師入れ替えの算段など結構しんどいおもいをしたので、昨日午後1時半過ぎの主催者挨拶では、煮詰まってしまい、お恥ずかしいことでした。 
 で、その挨拶文は、次の通りです。
「       御  挨  拶
 みなさん、こんにちは。
 今日はこれだけたくさんの方がお越しになり、それだけ被害者支援の輪が広がってゆくと思うと、感無量です。
 どうも、皆さん、ありがとうございます。
 共催していただいた大分県、大分県警察並びに後援していただいた大分市をはじめ、弁護士会、臨床心理士会、社会福祉士会のご協力に、心からお礼を申し上げます。 ありがとうございます。
 さて、本日の会ですが、先ずは犯罪被害者の方の話を聞いていただきます。
 私達被害者支援に関わるものの共通する思いは、私達は、喪われた命をよみがえらすことも、重大な後遺障害を回復させることもできません。私達の「被害者支援」と言っても、確実にできることは、主として被害者を決して独りにしないと言うことだけのことと言っても過言でないのです。
 その意味では、まさに私達の活動は、そもそも本質的限界があり、常に、「羊頭を掲げて狗肉を売る」のそしりは免れないのです。
 このように犯罪被害者に対し、積極的な支援は本質的限界がありながら、しかし、逆に犯罪の被害者の方にたいし、その気持ちをさらに傷つけ、いわゆる第二次加害者になることは、いともたやすくできるのです。
 私は弁護士ですが、その中で弁護士こそが、第二次加害者の筆頭であると言うことを先ず徹底的に肝に銘ずる事から、私達の支援の歩みが始まりました。
 その後16年前の隣家の少年による一家殺傷事件(即死3名、3年後死亡1名、下半身不随1名、重傷であったが救命されたもの1名)と言う不幸な事件をきっかけに知り合った臨床心理士や弁護士らが中心となって先ずは任意団体として設立された私達の支援センターの今日まで13年間の歩みの中で、もっともはじめの頃に、被害者が、心ない周囲の人々や団体、機関にいかに苦しめられるか、被害者はそれに対し、どのように立ち向かっていくか等について、貴重な教えを下さったのが、今日講演される殺人未遂の被害者のかた、岡本真寿美さんです。
 ところで、このともすれば第二次加害者となりうる団体、機関には、今や私達の被害者支援センター自身も入っていると自覚しなければなりません。
 ですから、今日は、私達自身も、講演を聴き、今一度初心に立ち返り、被害者支援の原点に立ち戻って、私達のこれまでを反省し、そして、これからの支援のあり方を考えていきたいと思っています。
 どうか、岡本さん、講演、よろしくお願いします。
 次に講演の後は、かつて「かぐや姫」の一員として活躍され、現在も音楽活動を継続されている森進一郎さんのコンサートを予定しています。
 森さんは、これまでも被害者支援の趣旨に全面的に賛同され、センター主催のチャリティーコンサートにボランティアで演奏していただきました。
 必ず、森さんの美しい声に載せて被害者支援に対する森さんのメッセージが、皆さんに届くものと確信しています。
 どうぞ本日のこの講演とコンサートに最後まで参加して下さい。最後まで参加していただき、被害者支援の大切さを、どうか一人でも多くのご家族、ご友人に皆さんが伝えていただくこと、これが主催者の願いです。
皆さんと私達も含めたみんなで、支援の輪をさらに広げて生きましょう。
 以上で、主催者を代表してのご挨拶を終わります。       」

 この後の来賓挨拶も心のこもったものであり、ありがたかったです。

 続いて、メインの岡本さんの話に耳を傾けました。
 僕自身は、これまで大分で2回、四国松山、博多市、宮崎市で各1回の計5回はお話を聞いていましたので、彼女の事件内容や、初期の頃の行政などの対応を一通りは知っています。
 それで、箇条書きにまとめてみますが、昨日聞いていないことも含まれていても、ごめんなさい。
 1 彼女が20歳頃、背が高く足のすらりと長い彼女は、ミニスカートをはき、長い髪を 風に吹かれながら佐世保の町を颯爽と歩いていて、人生が面白くて楽しくってたまらない時代を 過ごしていたのです。
 2 彼女には友達がいたのですが、その友達とつきあっていた加害者は、友達が最近冷た いのは彼女が入れ知恵をしたりしているからだと邪推し、彼女さえ殺せばその友達が自分 のもとに帰ってくると思いこみます。
 3 ある日、加害者は突然彼女にガソリンを4リットルもかけ、ライターで火をつけて彼 女を殺害しようとします。 全身が炎につつまれて、必死に火を消そうとしても適わず、 全身の90パーセントが熱傷となり、指の指紋はもちろん、体中の汗腺は喪われて、皮膚 移植をするにもその皮膚さえなく、父親と兄の皮膚提供を受けながら、その後今日まで、 何十回もの皮膚移植をしなければならなくなりました。 あごから下のケロイドは、厳し いすがたをのこしています。
  この事件のときの情景は、今でもまざまざと彼女によみがえり、彼女を地獄に突き落と す苦しみを与えています。
 4 燃え上がった彼女は、衣服は燃え尽きて、ほぼ全裸の状態になりながら、彼女が現場 で痛みで泣いていたとき、野次馬は彼女を取り囲み、警察は証拠写真を撮りまくり、あま つさえ、座り込んでいる彼女に、車が通るので道路の脇に寄るよう言うのです。
  さらに救急車に加害者も乗り込むと、彼女が搬送された病院は現場近くにありなが   ら、軽傷の加害者の方を遠く離れた病院に先ず連れて行き、結局彼女の病院への搬送は、 加害者を病院に運んでいった往復分遅れてしまいました。。
 5 その事件から20年以上たった今でも、彼女は再三再四入院しなければならず、心理 ケアも含めて通院を余儀なくされています。
  その医療費についてもいったい誰が払うのか。
  今でこそ、医療保護でまかなったいますが、彼女に直接請求する医事課の人たち、彼女 を疫病神のように追い返す福祉事務所の係員達。
  また、汗腺がないため、汗がでず、体温調節ができないからエアコンを買おうとする  と、それは贅沢品だから保護を打ち切ると告げる役所の冷血漢。
  彼女は、その重い障害と戦う以外にも、こんな「普通の人」たちのその想像力の貧困と も闘わねばならなかったのであり、現在も戦っています。
 6 そんな中で、彼女を金集めのために人寄せパンダのように利用する00県の「被害者 支援センター」の存在も報告されました。
  これに関しては、そのセンターの言い分もあるのでしょう。 しかし、被害者にそう思 わせること自体が、僕ら「被害者支援」を口にするものにとって敗北です。
 素直に認め、対応すべきです。

 そのほかにも具体的に1時間の予定時間を30分以上超える話が聞けました。  聞いた方に少しでも被害者の実情、大変さが伝わればなあと願っています。

 その後の森さんのソロコンサートは素晴らしかった。  安西先生は確か中・高の後輩で、音楽部でも後輩だったよね。 森さんが、「後輩も来てる」と言っていたのは、安西先生のことだと思うよw
 しかし、素晴らしい演奏だった。 すばらしい被害者支援に対するメッセージでした。
最後のアンコール(ほんとにその場で僕がお願いしました。)での「時代」は涙が出てきました。  素晴らしかった。

 今回の講演会の報告は基本的には以上です。
 センターのスタッフ、ボランティアの皆さん、ありがとうございます。 立派にやり遂げましたね。さすがです。

 ちょっと蛇足かもしれません。 しかし、講師の方の現在の飾らない心境を伝えておきます。
 一昨日、何とかお会いできた僕は、コーディネーターの方と一緒に、彼女とささやかな宴席をもちました。
 そこでの彼女のお話の一部です。
 つねに明るく僕らに笑顔で接してくれる彼女から、加害者が死んだと言う話を聞いたときです。
 わずか6年の刑期を終えて出所したこの加害者は、一銭の弁償も補償もせず、家庭を持ち会社を起こしていたのですが、彼に対して、僕の信じられないことですが、地元の弁護士は、彼から逆恨みにより攻撃されるかもしれないと説明して民事裁判しないように言っており、そのため3年の短期消滅時効の期間が経過してしまっていたのが問題でした。
 しかし、当たり前のことですが、これを救済すべくたちあがった弁護士の力を借りようとした矢先、加害者が死んだとの情報が入ったそうです。
 そして、その死亡原因については例のごとく「加害者にもプライバシーがある」とのことで警察は教えてくれません。
 彼女は言います。 「私がこんな地獄で生きけてこられたのは、加害者を憎んで憎んで、憎むことによって生きてこられたのです。 その相手が、私をこんな地獄に突き落としながら、勝手に死んで楽になって行くなんて。  せめて、その原因を知りたいと思っても、加害者の「人権」によってそれが阻まれるなんて。
 先生。 私は長く生きられないとはお医者さんから聞いています。 でも、いよいよ、皮膚がいろんなところから、はがれ始めています。  もう1年、こんな私の話を聞いてくださる方のところへは行けるかもしれません。  でも、それから後は、私は生きてゆく自信がありません。先生、どうしたらいいんですか。 」と。

 そう言う彼女に、あなただったらどう語りかけますか。

 
 被害者支援は、僕の最後の生きる道筋です。

 ではね、みなさん。  読んでくれてありがとう。   じゃあ、また。