記者会見>読んでる本など>あがりはぽん太w

 はい、昨日の被害者支援の早期制定を求める記者会見はそれなりに反応があったようです。 先ずは報道陣の共感を勝ち取ること、それで県民・市民、町民、村民の共感を勝ち得て、議員の意識に反映させ、何が何でも共同体=自治体の意思表示に結実させること、その結果が条例であると固く信じて取り組んでいます。    第一次の全県一斉請願運動は全面的にうまくいきました。 皆さんの支えがあったればこそですが、大分市議井手口良一君の手助け、岩屋毅、衛藤晟一両国会議員の協力には感謝、感謝です。 ありがとうございました。  で、いよいよ場面は、意義ある条例の中身です。  それで、最低限目標として、一つは財政出動、もう一つは、弁護士の相談の過程や警察の事情聴取、あるいは裁判の結果大きな金額を報道されることにより心無い噂話などでさらに被害者が傷つくという第二次被害の防止を宣言することを獲得し、盛り込みたいと考えています。 はーい、そのための第一歩としての昨日の記者会見でしたが、一時間半もの長時間、僕らも全存在をかけて訴えましたが、報道陣も最後まで席を立つ人もなく熱心に耳を傾けてくださいました。 うれしかったなあ。  中学、高校の後輩で著名な画家の息子さんである五〇年来の友達の息子さんが記者として取材してくれたことも、きっともしいるとしたら神様のご褒美だったのかもしれない、単純素朴にうれしかったですw

 では、大分合同新聞の今朝の記事を引用しておきます。
引用始め「遺族ら早期制定訴え 犯罪被害者支援条例

音声ニュースについて

会見で「犯罪被害者の思いをくみ取った支援条例をつくってほしい」と訴える「ピアサポート大分絆の会」の佐藤悦子代表(左)と大分被害者支援センターの三井嘉雄理事長=25日、大分市
会見で「犯罪被害者の思いをくみ取った支援条例をつくってほしい」と訴える「ピアサポート大分絆の会」の佐藤悦子代表(左)と大分被害者支援センターの三井嘉雄理事長=25日、大分市
「財政出動、二次被害防止」盛り込んで
 犯罪被害者遺族らでつくる自助グループ「ピアサポート大分絆の会」と民間支援団体「大分被害者支援センター」が25日、大分市内で記者会見を開いた。両団体が県と県内18市町村に制定を求めている被害者やその家族を支援する条例について、「財政支援や二次被害の防止など、被害者の思いをくんだ内容にしてほしい」と訴えた。
 両団体は条例制定を求めて2016年8月から、各議会に対して請願活動を続けている。各議会は相次いで請願に賛同しており、センターの三井嘉雄理事長は会見で「条例制定は長年の夢だった。山が動き始めた」と手応えを語った。早ければ17年度中に県条例が制定されるのではないかとの見通しを示し、市町村についても早期制定を望んだ。
 条例には被害者の生活を支えるための支援金の支給や、事件で転居を余儀なくされた場合の費用補助といった財政出動を盛り込んでほしいと要望。民事裁判で加害者に賠償が命じられても資力がないために支払わず、実際は判決が「紙切れ」になっているケースも多いとし、行政が一部を立て替える制度も求めた。
 絆の会の佐藤悦子代表(65)=国東市=は、被害者や遺族に対する「事件直後からの支援」や二次被害の防止を求め、「被害者の意をくみ取った条例ができれば、被害者は地域で生きやすくなる」と指摘した。

<メモ>
 犯罪被害者等基本法では、被害者に対する支援を国や地方公共団体の責務としている。県内ではこれまでどの自治体も制定に至らなかったが、被害者遺族らの請願活動を機に議論が始まった。請願は県議会と中津、国東両市議会が2016年9月定例会で採択し、同年12月定例会では新たに大分など12市町議会が採択した。17年3月定例会では残る別府、日田、姫島の3市村議会でも審議される予定。唯一、豊後高田市議会には請願が出ていないが、市執行部は「早期制定を検討する」と表明している。
※この記事は、2月26日大分合同新聞朝刊27ページに掲載されています。
」引用終わり

と言うことで、皆さん、今後もよろしく。

 続いて、司法研修所時代の恩師の本です。
 表題の「航跡」とは、どんな意味でしょうか。
 先生は、「はしがき」こう記されています。
「この世に生を受けて八七年、つくづく「遥けくも来つるものかな」と思う。大日本帝国が崩壊した敗戦までと、それ以降の七〇年とがわが人生であり(中略)本書はその一文を敷衍するがごとき構成になっていて、いうなれば洋上を行く船舶の、大海原に描く航跡に似ていないこともない。波を立てて泡を生み、水平線の彼方へ向かうが、間もなく波も泡も消え、海面は何事もなかったように元の姿に戻る。本書の表題を「航跡」としたのは、わが人生を形容して過不足がないと思うからである」と。
 うん、すごい。 達人ですね。
 先生は、一四歳にして官立の民間航空機乗員養成所に入り、敗戦の年の昭和20年7月に17歳にして一人前のパイロットとなり、特攻隊に編成され、あとひと月も降伏が延びていれば、必死の運命だったのですね。
 うん、40年ほど前のNHKの朝ドラ「雲のじゅうたん」の主人公の息子さんと同じ運命をたどっていたのですね。
 動画はここですw
 確か最終回近くで、主人公の浅茅洋子が、逓信省(戦後の郵政省です。)付きのパイロットであった息子がやがて兵隊にとられ、戦死したとの公報に接し、飛行場の端にある土手に腰を下ろして大空に雲を凝視しながら、何度も何度も大地を叩いていたあの場面が目に焼き付いています。  涙があふれたなあ。  最高の反戦ドラマでしたよ。
 そうです、ついこの前まで、軍隊経験や戦災経験、身内で無意味な戦死者を抱えた人々が、そこらじゅう、日本全国じゅうにあふれていたのですね。  しかし、そのような方の大半がお亡くなりになったりした現在、本当の意味で戦争を知らない子供たちが、逆に日本中にあふれてしまいました。  それでよかったとも言えるのですが、あほなアジテーターの手にかかると、果たして反戦バネは今も顕在か。  あの「云々」を「でんでん」と読んで恥じない独裁的首相を抱く今日、危機は重大なのかもしれません。  だからこそ、安西先生が何時も言われるように、ぼくらがうるさいおやじとなって、常にいいつづけないとね。
 はい、そんなことを考えながら、先生の本を読破中です。
  題が「航跡」なのに、赤とんぼと愛称された練習機が表紙を飾っている意味がよく分かりますねw

 はーい、昨夜は同期の先生と若い世代と飲み歩き、元アイドルの新人弁護士さんによる「ボディーガード・ケビンコスナーとホイットニーヒューストン」の主題曲だった歌(基調となる歌詞が「I’ll always love you。」ですか)を聞き、大感動しましたw

 で最後の締めは、「ぽん太」ですw
 ううう、ちょっと疲れました。  でも午前様ではないですよ。

 ではでは皆さん、今週もよろしく。  またねw

 はーい、最後はこれでw