土石流のようだった今週のことなど

 今週は、先週の滋賀県大津市で開かれた日弁連の人権擁護退会に出席したしわ寄せによる業務の多忙に忙殺されました。
 しかし、予想外にも体重が減少し、Hba1cがなんと先月より0,8少なかった!  信じられん!  信じなさい。
 と言うことで少しは気分がいいのですが、総選挙で政権側が圧勝しそうで、何というか、ね。
 前0とか言う小僧はほんとに腹切れよ、と言いたいところです。
 ふん。

 それにしても、新自由主義の破壊力はすさまじい物がありますね。 平等に対し競争を、労働者に対し経営者としての自己投資を呼び掛けるこの考え方の破綻は明らかです。  競争に負けるのは自己責任であり、競争に勝ったものは、どこまでも何もしていいという考え方、そしてそれは資本と賃労働の枠組みではなく誰もが参加でき、すべき競争だと言うのですが、社会という資源に限界があり、生産力は効率によって世界どこでも同じシステムになるはずである以上、競争社会は究極的に1パーセントの勝者と99パーセントの敗者を生み出すのは理の当然ですので、大衆みんなのための社会モデルとなりうるはずがないのです。  しかし、信者達は自分だけは勝者になると信じているのですから、新自由主義は信仰のであって、人々を解放する思想ではないのですね。
 こんなことは受験戦争時代に突き詰めて考えれば分かることで、舞鶴高校3年次の文化祭で、僕が大教室で図書委員会の講演として話したテーマと論理が重なります。  学友は100名は来てくれたかしら。 生徒指導などの教師も6名ばかり来て熱心に聞いていましたが。
 しかし、この新自由主義が、民主主義社会=デモス(民衆)による統治(クラシー)を崩壊させつつあるとの指摘は説得力があります。 それが最近紹介していたのがこの本ですね。
 鋭い本です。 必読の書ですね。
 ただ、この本の中で筆者は、では何故民主主義が正当性をもち、大切なのか、それは何故かについて、誰も答えていないし、自分も答えを見つけ出していない旨の記述があります。
 うん、やはり、このブログで以前紹介した古代ギリシャのヘロドトスの「歴史」を先ず読まないと。
 この中で、古代ペルシャの国造りをするにあたって、王政にするのか、寡頭制にするのか、それとも民主制にするのかの議論をペルシャ人達がした、との長い記述があります。 当時現にアテネでは民主制がとられていましたからね。
 その中で、民主制の長所と短所は既に十分指摘されています。
 で、そうでありながら執るべきであり、擁護すべきは、何故民主制なのか。
 はーい、中学生の僕はなんと考えていたでしょう。
 これはまた、お会いしたときにね。
 要は、自分の頭で突き詰めて考えなくては、と言うことですね。
 ヒントは、人は何故他人を殺してはならないか、と言う問題と同じ答えにたどりついたという点です。

 はい、秋の夜長ですもの、いいでしょう、こういう問いかけも。

 で、今読み始めているのが、この本です。
 非常に明晰な展開をする本で、これが20代の青年が書いたなんて、凄すぎ。
 でも時にはいますね、神津陽という1970年代のイデオログーの「蒼氓の叛旗」は、すげえ本でしたよ。

 はい、「チャヴ」とは下流社会の手のつけられない暴徒を指す蔑称ださうで、イギリスの一般大衆社会が如何に新自由主義によって壊滅的打撃を受けたか、如実に教えます。
 明後日から、旭川家裁経由東京出張ですので、一気に読みます。 楽しみです。  これも今年度必読の本ですよ。

 とまあ、八つ当たり気味にブログを書いてしましました。
 そうそう、安西先生から送られてきた秀逸な独りたたずむ公園の動画が、5mb以上アップできないとのブログのアップ上の制約で、先生にご迷惑をおかけしました。 ごめんなさい。  サイト管理者の吉冨君、何とかして!

 では、最後の今週の画像のうち、適当に朝日や夕方や、何気なく撮った花などの写真を少々。
 で、僕は、今からぽん太で開かれる一週延期されていた一土こん会に行ってきます。 ではね、みなさん、また来週!