3月も半ば過ぎ    長いおまけ「初心忘るべからず」

 昨日土曜日は、楽しい土三会のその日でした。  彦八に集合して、同級生の女将の美味しい手作り料理で、話題は世界と時間を駆け巡り、二次会はぽん太で無事終了。
 梅宮辰夫と同様の地球格闘家は、昨夜はリベンジすることなく、お風呂に入って早めの就寝をしたとのこと、よござんしたw

 こうやって見ると、みんな年相応に、、、、、、w

 さて、朝の散歩は、土曜日を紹介しましょう。
 久しぶりに大分川土手から見た朝日を。

 そして、案山子さんと歩いていたら、眼科医の大塚先生に会いました、同じ年同志ですw

 これだから朝散歩はやめられません。

 はーい、今日はごろごろしています。
 中三の時以来の過労時に出てくるヘルペスが先週出て。とにかく休まないとね。  はーい、お医者さんにはちゃんとかかっていますからご安心ください。

 で、読んでいる本は、これですね。  中巻82ページ突入です。

 完訳本の岩波文庫の発行日が1089年ですから、大学時代に読んでないのは当然ですね。
 すごいわ、とにかく。  モンテスキュー、は270年余りの時間と世界規模の空間にその英知が広がり持続し、残るのは無理もない。 感服、感動の連続です。  で、そのまとめは、この哲学者の論考をどうぞ。  
 また、日本に関する記述も多く、その点に対する緻密な学術論文はこれです。  はーい、近代革命の精神そのものです、偉大であるのは当然ですね。 

 とにかく彼は言います。
「知識は人を穏和にする。理性は人間性を高める。他方、人間性を否認させるものは、ただ偏見だけである。」と。 ううむ、わが心の反知性主義粉砕、闘争勝利ですねw

 はい、今から夕方散歩に出かけます。
 昼間歩いて4000歩の貯金がありますので、併せて8000はいくでしょうね。

 あ、案山子さんや、ぽん太のI君らは、湯布院ウオークか。  ご苦労なことですね。  元気かな?
 では行ってきますw

 土手を歩きました。 菜の花の群落がいいねw

 ふとスマホを見ると、地球格闘家でもある安西先生から12年前の合同新聞「人」欄の新聞記事が、ラインで送られてきました。
これです。

 うううーん、頭に真っ先に浮かんだ言葉が、「初心忘るべからず」でした。
 これは、この言葉は世阿弥の「花鏡」に出てくる語句で、その意味合いは味わい深いです。
 長いけど、解説を一挙に載せますね。
引用開始「およそ600年前、能を大成した世阿弥(ぜあみ)は、能楽に関するさまざまな文書を執筆していたことでも知られ、50歳半ばに書いた『花鏡(かきょう)』という伝書には「初心忘るべからず」という言葉を書き残している。おそらく誰もが知っている言葉だが、これが世阿弥の言葉だということを知らない人も多いのではないだろうか。

一般的に「はじめの志を忘れてはならない」という意味で使われるが、世阿弥が言った「初心忘るべからず」は、もう少し複雑で繊細な意味を持っていると明治大学法学部教授の土屋惠一郎(つちや・けいいちろう)氏は指摘する。

*  *  *
 この句、三箇条の口伝あり。
 是非の初心忘るべからず
 時事の初心忘るべからず
 老後の初心忘るべからず

ご覧いただいてわかる通り、世阿弥が言う「初心」は「最初の志」に限られてはいません。世阿弥は、人生の中にいくつもの初心があると言っています。若い時の初心、人生の時々の初心、そして老後の初心。それらを忘れてはならないというのです。

若い時の初心とは、具体的には24〜5歳のころを言っています。能役者の場合、まずは稚児(ちご)姿がかわいらしい子供時代があり、声変わりなどをして苦労する青年時代がある。そして24〜5歳になると、いわば成人して声も落ち着き、舞も舞えるようになる。すると周りが、「ああ、名人が登場した」「天才が現れた」などと褒めそやしたりします。それで思わず、「自分は本当に天才なのかもしれない」と思ったりするわけですが、実はそれが壁なのだと世阿弥は言うのです。それは、その時々の一時的な花に過ぎない、そんなところでのぼせ上がるのはとんでもない。そこにまさに初心が来るのです。

この頃の花こそ初心と申す頃なるを、極めたるやうに主の思ひて、はや申楽(さるがく)にそばみたる輪説(りんぜつ)をし、至りたる風体をする事、あさましき事なり。たとひ、人も褒め、名人などに勝つとも、これは一旦めづらしき花なりと思ひ悟りて、いよいよ物まねをも直にし定め、名を得たらん人に事を細かに問ひて、稽古をいや増しにすべし。(『風姿花伝』第一 年来稽古条々)

まことにこの時が「初心」である。それを、あたかも道を極めたかのように思って、人々に話をし、さもそのように舞台で舞ったりするのは、なんとあさましく、嘆かわしいことであろう。

むしろこの時期こそ、改めて自分の未熟さに気づき、周りの先輩や師匠に質問したりして自分を磨き上げていかなければ、「まことの花」にはならない。そこで満足して何もしなければ、芸もそこで止まってしまうからです。若いころの名人気取りを「あさましき事」と世阿弥は言うのです。確かに、こうした「あさましき事」は、今でもあるかもしれません。人気をいいことに、まだ若いのに名人気取りになっている俳優や音楽家はいるかもしれません。

人間誰しも、すごい新人が現れたと言ってみんなが褒めてくれる時期が一回は来るでしょう。しかし、次の年になれば、またあらたな新人がやってくるのです。だからこそ、新しいものへの関心からみんなが褒めたたえてくれている時、その中に安住してはいけないと世阿弥は言っているのです。そこでいろいろと勉強しなおして初めて、その上のステップに行けるというのです。

■『NHK100分de名著』2014年1月号より」引用終わり。

 成程ね。
 はーい、と言う視点で今週もよろしく。  またねw