師走-part4

 そうか、冬至も過ぎていよいよ今年も秒読みです。
 良く頑張ったね。お疲れ様。
  おっとっと、まだ今週があるよ、金曜日御用納めまで気を緩めないでね、あ、僕のことか、はーい。

 さて、ガザの惨劇は終りが見えません。
 ローマ教皇が激しくイスラエルのジェノサイドを非難していますね。当然です。

 イスラエルと言えば、ユダヤ人のナチスによる迫害ですが、現イスラエル政府を支えるシオニスト極右の連中は、ナチスと共生していたとの事実が暴かれようとしていますね。  ナチスは、ユダヤ人がパレスチナに住むことを歓迎していたのですから。

 アマゾンのカスタマーレビュウでこんな紹介があります。
「カスタマーレビュー

西岡昌紀
5つ星のうち4.0 ナチとシオニストの知られざる協力関係を暴いたユダヤ人ジャーナリストの本
2006年5月14日に日本でレビュー済み
 イスラエル建国を目指したシオニスト達とナチスドイツとの間に、実は、協力関係が在った、と言ったら、皆さんは驚かれるだろうか?−−
 この本は、アメリカのリベラル派であり、ユダヤ人であるジャーナリストのレニ・ブレナー氏が、20世紀の前半に、シオニストとナチスの間に、隠れた協力関係が存在した事を暴いた驚愕の一書である。
 これは、今日、殆ど忘れられて居る事であるが、20世紀初頭、シオニズム運動は、西ヨーロッパのユダヤ人の間で、実は、広い支持を得て居なかった。−−理由は単純である。ヨーロッパでの豊かな生活に慣れ、そして、ヨーロッパ社会に同化を遂げつつあったユダヤ人にとって、パレスチナ等の非ヨーロッパ世界に移住する事など、全く魅力の無い空想的構想だったからである。−−そうした中で、ユダヤ人の支持を集められない事に焦った一部のシオニストは、ナチスの台頭によってユダヤ人が差別される状況こそが、シオニズム運動に対する干天の慈雨であると考え、ナチスの台頭を歓迎したのである。信じられない人も居るだろうが、これは、当時のシオニズム運動の機関紙の記事などで、容易に確かめられる歴史的事実である。
 著者のレニ・ブレナー氏は、永くタブーとされて居た、こうしたシオニストとナチの間の協力を、ユダヤ人の一人として告発して居る。現代史を知る為の必読の書であるが、ホロコーストに関する著者の検証は、従来の歴史観のままであり、全くもって不十分である。(故に星4つとした)余談であるが、イラン・コントラ事件の際、アラブの知識人の間で、この本が隠れたベストセラーに成ったと言ふ逸話は、興味深い。
16人のお客様がこれが役に立ったと考えています」

 僕はこちらの論考から知ろうとしています。
「ユダヤ民族3000年の悲劇の歴史を真に解決させるために
電網木村書店 Web無料公開 2000.7.4

第2部 冷戦構造のはざまで
第4章:イスラエル・コネクションの歴史的構造 8
シオニストとナチ党の共生関係にこそ最大の歴史的疑問符
『ユダヤ人とは何か/ユダヤ人』(三友社)という日本語の資料もある。この本は一二人の研究者による共著だが、金沢大学教授(当時)で中東現代史専攻の前田慶穂が、「だれがアンネ・フランクを見殺しにしたのか/ホロコースト・シオニズム・アメリカ」の章で、「ナチとシオニストの協力」関係をえがいている。

 ナチ党が政権を獲得した直後の一九三三年、世界シオニスト機構の議長代理だったヨアヒム・プリンツはこう書いていた。

「強力な勢力(ナチズム)がわれわれの支援に訪れてくれ、われわれを改善してくれた。同化論は敗れた」

 ナチズムがユダヤ人の組織を「支援に訪れ」たとは、意外も意外の表現だが、これには切実な理由がある。当時のユダヤ人社会の中には、西欧文化に「同化」しようとする人々と、「異化」してイスラエル建国をめざすシオニストとの対立があった。狂信的な「異化」論者のシオニストにとっては、「同化」論者のユダヤ人こそが、打倒すべき当面の敵であった。だから、ユダヤ人全体の排斥を政策とするナチズムは、「敵の敵は味方」という戦国の論理で、「味方」に位置づけられたのだ。

 この一見奇妙な関係の力学は、現在もつづいている。おなじ本の中の「ユダヤ人問題の理解のために/差別はどこからきたのか」の章で、東京大学教授(当時)でやはり中東現代史専攻の板垣雄三が、つぎのような実情を指摘している。

「欧米ではしばしばユダヤ人が嫌いで、ユダヤ人に対して強い偏見を持っている人に限って、イスラエルという国は大好きということが見られる。(中略)自分たちの社会からユダヤ人に出て行ってもらいたいから、出て行く先があるのは大いに結構だ、つまり、いわばゲットー国家としてのイスラエルの存在は大いに結構だということになるのである」

 ナチ党の場合も、理論的指導者のアルフレッド・ローゼンバーグが一九三七年に発表した論文「転換期におけるユダヤ人の足跡」の中で、「シオニズムを積極的に支援すべきである」とし、「相当数のドイツのユダヤ人を毎年パレスチナに向けて送り出すべきだ」と論じていた。

 板垣雄三はまた、「ナチズムとイスラエル」(『世界』78・7)と題して、つぎのような歴史的事実をも指摘していた。

「シオニストにより設立されたパレスチナ船舶会社は、ドイツ客船を購入して『テル・アヴィヴ号』と改称し、船長はナチ党員、船尾には船名のヘブライ文字、マストにはナチの鉤十字を掲げて、一九三五年ブレーマーハーフェン・ハイファ間に就航し、移民の輸送にあたった。(中略)

 一九一九年パレスチナのユダヤ教徒の人口は住民の九%だった。ところが一九三九年には、パレスチナの『ユダヤ人」人口は全体の三〇%を占め、イシューヴ(パレスチナ・ユダヤ人社会)の自立的経済が成立するに至った。一九三三年を転換点として、中・東欧からの『ユダヤ人』入植者が激増したからである。ナチズムなしにはイスラエル国家の誕生はありえなかった、ともいえるであろう」

 アイヒマンといえば、いかにも冷酷なユダヤ人虐殺の頭目のように見なされているが、ここにもやはり、つぎのような意外な経過がある。

「一九三五年頃、SSの公安部(SD)のユダヤ人問題担当官に就任したばかりのアイヒマンは、上官の勧めでシオニズムの父テオドール・ヘルツルの『ユダヤ人国家』を読み、シオニズムに心酔していた」(『ユダヤ人とは何か/ユダヤ人I』)

 シオニストとナチ党とは、ウルトラ民族主義と、暴力的手段の行使の二つの主要な柱で一致している。この両ウルトラ民族主義集団は奇妙な共生関係をたもっていた。世界シオニスト機構のドイツ同盟は、ナチ党の支配下で唯一のユダヤ人組織として機関紙発行をゆるされ、当局との交渉権をにぎり、急速に成長した。第二次世界大戦勃発の二ヵ月前、一九三九年七月はじめには、シオニスト組織をふくむすべてのユダヤ人組織が、ナチ党の御用機関、「帝国ユダヤ人同盟」にまとめられた。

 大戦勃発以後、事態は急変した。だが、以上の経過がしめすように、人造国家イスラエルの建国という途方もない巨大計画は、一時的にナチス・ドイツの協力をえながら具体化され、ある段階から逆に「ナチ批判」、「ホロコースト批判」を跳躍台にして、第二次世界大戦の廃墟の上に展開されたのである。

 ナチス・ドイツによる「東方移送計画」の最初の目標地は、すでにユダヤ人の入植が進んでいたパレスチナだったが、パレスチナの信託統治権をにぎっていたイギリスとの間で費用の問題などの話がつかなかった。以後、フランス領だったマダガスカル島が候補にあがったり、占領下のロシアという話になったり、まさに二転三転した。

 その間、さまざまなルートをつかったパレスチナへの移住はつづいていた。

『アウシュヴィッツ/判事の証拠調べ』では、つぎのような意外な事実をしめす発掘資料を紹介している。

「一九四四年というおそい時期にいたってさえ、ドイツ海軍の援護の下に数隻の船がルーマニアから黒海をぬけて、ユダヤ人移住者をはこんでいた」

 シオニストの目的は、あくまでパレスチナの「シオンの地」での国家建設にあった。戦後には、ふたたびマダガスカル島を候補にあげたイギリスの植民地担当大臣、モイン卿が暗殺されるという事件がおきた。結果として、一八七八年以来、ロスチャイルド家が土地買収をつづけてきたパレスチナに、ユダヤ人の国家が建設されるのである。

(39)シオニズムに「好意的な立場」の学者もみとめる「移送協定」へ」

 やはり、無知は問題なのですね。
 はい、亡くなるまで、頑張りまーす。

 例の貧乏物語はほぼ読み終えました。感想は次回にねw

 昨日は、「もとこ」から「かとう」のいつものコースで楽しみました。
問題は、画像が、、撮れていない。 縮小をし過ぎかな?

 それなりに楽しかったけど、やはり鯉三号さんのいない土三会はあり得ないね。タクシーは乗り場に何台もあったから、来年はまた飲もうねw

 ではでは、今日の夕方散歩の様子を。


 風もあってとにかく寒かった。  鯉三号さんが、温度を調べてくれて、8度台から早く帰った方がいいよとラインをしてくれたよ、ありがたいよねw

 今日は、そういえばミコに便秘が続き、動物病院に僕が連れて行ったけど、大丈夫でした。
 それにしても、2時間まっての診察。 お父さん疲れたよ。  何時までも病気知らずで来年もよろしくね。

  ではでは、皆さん、またまたね