今日は、大分被害者支援センター主催の講演会が、大分市内アイネス2階でありました。
講師の本郷さんは、娘が殺人被害者(池田小学校事件)のお母さんですが、90分間にわたり、素晴らしい講演をしてくださいました。
「死者は、残されたものの中で生きています。 その残されたものに対してケアをすると言うことは、死者をもケアしていることなのです。」 僕の心に飛び込んできたお話しです。凄いなあ。感動しました。
その後の森進一郎さんの歌も素晴らしかった。 肖像権などの問題もあるし、最前列でしたので動画で堂々とれませんでした。 が、歌声を聴いてください。 折り紙は、被害者の方が折ったものです。
はい、僕の最初のご挨拶はこうです。
ご 挨 拶
1 皆さん、こんにちは。
ようこそ。
寒い日曜日の午後、被害者の方に心を寄せられる皆さんが、この講演会に参加していただき、ありがとうございます。
また、お忙しい中、はるばる東京から駆けつけてくださり、言語に絶する体験を教えてくださる講師の本郷さん。 ありがとうございます。
講演の後で、素晴らしい歌声で、被害者と私たちを包んでくださる、いつもボランティアで励ましてくださる森さんとディアフレンズの皆さん。 ありがとうございます。
そして、私たち被害者支援センターを暖かく支えてくださる大分県の 生活環境部長さん、大分県警の警務部長さん、ご出席ありがとうございます。
本日の講演会に先立ち、センターを代表して、しかし、私自身の視点から、一言今日のこの講演会の意義についてお話しすることをお許しください。
2 私は、大分県で39年間、いわゆる街の弁護士をしています。
その前半分は、「弁護士になり無実の人をすくう」と言う小学生時代からの夢を実現すべく、猪突猛進してきました。
しかし、ある日ふと立ち止まったのです。
犯罪の被害者を無視していないか、その痛みに共感できているか。 被害者への視点抜きには、加害者の更生に何の役にも立たないのではないかと。
これは私だけの思いではありませんでした。多くの弁護士の共有したおもいだったのです。
そこで、徹底した議論を経て、1999年、大分で開催された九州弁護士連合会の大分大会で、「犯罪被害者とともにある弁護士会になろう。そのためにまず被害者に対する支援の窓口を九州各県の弁護士会に設置しよう。」と宣言したのです。
そして、翌年、2000年4月の大分県弁護士会にもその特別委員会が設置されました。
しかし、何と不幸なことに、その年8月、旧野津町で隣家の少年による一家殺傷事件と言う何十年に一度くらいしか発生しない、大分県内ではかつて経験したことのなかった残酷で痛ましい事件が勃発しました。
私たち委員会所属の弁護士は被害者支援を、日時の時間感覚が無くなるほど懸命に取り組みました。
そのとき多くの臨床心理士さん、社会福祉司士さんらと出会い、この殺された尊い犠牲者の死を、重大な後遺障害を負ったその犠牲を、決して無駄にしない、そのために、出会った我々で被害者支援センターを作り、絶対被害者を一人にしない、このことを石にかじりつてでも達成しようと決意したのです。
そうして16年前に船出したのが、この大分被害者支援センターなのです。
3 私たち弁護士に対して、支援の道を歩み始めるとき、強く厳しく指摘されていたことがあります。
それは、弁護士こそ、最低最悪の被害者に対する第二次的加害者になりうると言うことです。 簡単に、慰謝料額の「相場」と言う言葉、「命の値段」と言う無神経な業界用語被害者の前で口に出すことなどなど。
4 ですから、被害者支援を志し、その道を歩こうとする者にとって、也よりも大切なことは、「初心に帰る。」と言うことなのです。 断じて二次加害者となるなと覚悟しています。
そのためには、被害者の心の叫びにじっと耳を澄ますと言うことなのだと痛切に思っています。
5 と言うことで、本日の講演会は、皆さんに被害者の生の声をお届けすることはもちろんですが、私たち自身が、深く反省する機会でもあるのです。
そうして私たちは、被害者の心を寄せておられるこんなに多くの方が、同じ志しをもった方々がおられることを、明るい松明の灯として、これからも被害者支援の道を歩み続けることをお約束して、私の挨拶とします。
以上
はい、すべてを終わって外に出てみると、月が微笑んでくれていました。
で、土三会メンバーは恒例の反省会をしましたとさw
ではではお疲れさまw そう言えば今週も難事件の集中証拠調べがあります。 何、この日程の入れ方は!
僕が、アホなのです。 ええい、破れかぶれだ! 突撃!! またねw