今日は昭和天皇の誕生日だったとのことで、休みで、ゆっくりしました。
と、言っても、昨日4月28日は、「ヨンニッパー」ではないですか。 沖縄デーですぞ。
これです。
僕は、田舎の高校生で、69年の騒動にはびっくりしました。
で、翌70年に中大に進学したのですが、この4月28日、地下鉄御茶ノ水駅から神田駿河台の中大に行ってみると、ロックアウトで、閉鎖され、講義は無し。 それで、帰ろうとして、再び御茶ノ水駅に向かうと、道路向こうの東京医科歯科大学のキャンパスで、赤ヘルの集会が開かれていました。 で、周囲には機動隊の青い乱闘服の部隊が。 そこで、H道の端の街灯の土台の上に登り、集会を道路越しに見ていました。 すると、5~6人の機動隊員が、交通の邪魔になるので移動するように行ってきました。 で、そのころ既に法律の勉強を始めていた僕は、生意気にも「この位置では交通の邪魔になりようがないじゃないか。」と抵抗したのですね。 すると、僕に話しかけた機動隊員達は悔しそうな顔をしていったん去っていきました。 で、また、全学連よろしく見学連を決め込んでいると、今度は、14~5人の機動隊の部隊が来て、周囲を歩いていた学生と僕の間に壁を作り、2たりに機動隊員が、僕の襟首をつかんで、振り回したのです。 驚いたなあ、これまで同じ年の連中と殴り合いのけんかをしたことはありますが、まさか、警察官からこんな暴行を受けるとはね。 で、御茶ノ水駅の出入り口に押し込められたのですが、その時横から年上の学生さんから声がかかりました。「反発してもめない方がいいよ。やられるだけだから。 自分は明治の4年だけど、今日は集会が明治公園でやっているから行ってみれば。中大の旗もあるはずだよ。」と教えてくれました。 で、初めて信濃町にいき、明治公園に行ってみると、確かに中大一闘委の旗が立っているので聞いてみると、中大の新入生によるノンセクトの会を立ち上げようとしていると0の話で、おお、じゃあ顔を出してみようと思った次第。 その後のことはまたの日にねw
この日の明治公園で印象に残っているのは、赤軍派が最初で最後の公然登場したことですね。 テレビ会社のライトが突然公園の一角に集中し、そちらに多くの人が駆け出したことをしっかり覚えています。 駆け出した野次馬の一人は僕でしたが。
と、一夜明けた今日は、何としても朝日をとらえ、みんなに見てもらおうと思い、午前5時前起床しました。
で、首尾は、上々ですw
何よりも 会いたし朝日 先駆けて
朝陽浴び 勇気と希望 みつる皆
平凡な 句こそ喜び 日々の糧
コロナ世に 闇こそ払え 赤き陽よ
おっと、気を付けましょう。
句をひねり 信号変わりて 足とらる
薬師堂の前で、案山子さん、地元の自治会長さん、健脚の方と、誰と誰が同級生かと言う話になったのですが、健脚の方が、僕に対しては、60になっていない、50台でしょうと聞かれました。 ははは、うれしいw
散歩にて 若く問われて 微笑みり
で、夕方散歩ではこんな画像と句です。
先ずは、花二つ。
さて、これはまた不思議ですね。
昼間は、こうでした。
それが、午後5時過ぎにはこうです。
昼間咲き 夕には閉じて 面白き
そして、日差しの強いことと言ったら。
例の散歩コースの薔薇園の薔薇はまだですね。
しばし待つ バラの花咲く その日まで
はーい、おかげで祝一万歩達成です。 気分よく眠れますねw
で、今日是非お届けしたい言説はこれです。 遺伝学、現代進化論を良く踏まえた議論で、植松某やナチズムの「弱肉強食論」に鋭い指摘をしています。 英知ですね。 ヤフーの質問と答え欄方の引用です。
引用始め「弱者を抹殺する。 不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思い…
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1986
知恵コレ
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iri********さん2011/6/112:32:25
弱者を抹殺する。
不謹慎な質問ですが、疑問に思ったのでお答え頂ければと思います。
自然界では弱肉強食という単語通り、弱い者が強い者に捕食される。
でも人間の社会では何故それが行
われないのでしょうか?
文明が開かれた頃は、種族同士の争いが行われ、弱い者は殺されて行きました。
ですが、今日の社会では弱者を税金だのなんだので、生かしてます。
優れた遺伝子が生き残るのが自然の摂理ではないのですか。
今の人間社会は理に適ってないのではないでしょうか。
人権などの話を出すのは今回はお控え頂ければと思います。
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mex********さん 2011/6/118:19:42
え~っと、、、よくある勘違いなんですが、自然界は「弱肉強食」ではありません
弱いからといって喰われるとは限らないし、強いからといって食えるとも限りません
虎は兎より掛け値なしに強いですが、兎は世界中で繁栄し、虎は絶滅の危機に瀕しています
***
自然界の掟は、個体レベルでは「全肉全食」で、種レベルでは「適者生存」です
個体レベルでは、最終的に全ての個体が「喰われ」ます
全ての個体は、多少の寿命の差こそあれ、必ず死にます
個体間の寿命の違いは、自然界全体で観れば意味はありません
ある犬が2年生き、別の犬が10年生きたとしても、それはほとんど大した違いは無く、どっちでもいいことです
種レベルでは「適者生存」です
この言葉は誤解されて広まってますが、決して「弱肉強食」の意味ではありません
「強い者」が残るのではなく、「適した者」が残るんです
(「残る」という意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味であることに注意)
そして自然というものの特徴は、「無限と言っていいほどの環境適応のやり方がある」ということです
必ずしも活発なものが残るとは限らず、ナマケモノや深海生物のように極端に代謝を落とした生存戦略もあります
多産なもの少産なもの、速いもの遅いもの、強いもの弱いもの、大きいもの小さいもの、、、、
あらゆる形態の生物が存在することは御存じの通り
「適応」してさえいれば、強かろうが弱かろうが関係無いんです
そして「適者生存」の意味が、「個体が生き延びる」という意味で無く「遺伝子が次世代に受け継がれる」の意味である以上、ある特定の個体が外敵に喰われようがどうしようが関係ないんです
10年生き延びて子を1匹しか生まなかった個体と、1年しか生きられなかったが子を10匹生んだ個体とでは、後者の方がより「適者」として「生存」したことになります
「生存」が「子孫を残すこと」であり、「適応」の仕方が無数に可能性のあるものである以上、どのように「適応」するかはその生物の生存戦略次第ということになります
人間の生存戦略は、、、、「社会性」
高度に機能的な社会を作り、その互助作用でもって個体を保護する
個別的には長期の生存が不可能な個体(=つまり、質問主さんがおっしゃる”弱者”です)も生き延びさせることで、子孫の繁栄の可能性を最大化する、、、、という戦略です
どれだけの個体が生き延びられるか、どの程度の”弱者”を生かすことが出来るかは、その社会の持つ力に比例します
人類は文明を発展させることで、前時代では生かすことが出来なかった個体も生かすことができるようになりました
生物の生存戦略としては大成功でしょう
(生物が子孫を増やすのは本源的なものであり、そのこと自体の価値を問うてもそれは無意味です。「こんなに数を増やす必要があるのか?」という疑問は、自然界に立脚して論ずる限り意味を成しません)
「優秀な遺伝子」ってものは無いんですよ
あるのは「ある特定の環境において、有効であるかもしれない遺伝子」です
遺伝子によって発現されるどういう”形質”が、どういう環境で生存に有利に働くかは計算不可能です
例えば、現代社会の人類にとって「障害」としかみなされない形質も、将来は「有効な形質」になってるかもしれません
だから、可能であるならばできる限り多くのパターンの「障害(=つまるところ形質的イレギュラーですが)」を抱えておく方が、生存戦略上の「保険」となるんです
(「生まれつき目が見えないことが、どういう状況で有利になるのか?」という質問をしないでくださいね。それこそ誰にも読めないことなんです。自然とは、無数の可能性の塊であって、全てを計算しきるのは神ならぬ人間には不可能ですから)
アマゾンのジャングルに一人で放置されて生き延びられる現代人はいませんね
ということは、「社会」というものが無い生の自然状態に置かれるなら、人間は全員「弱者」だということです
その「弱者」たちが集まって、出来るだけ多くの「弱者」を生かすようにしたのが人間の生存戦略なんです
だから社会科学では、「闘争」も「協働」も人間社会の構成要素だが、どちらがより「人間社会」の本質かといえば「協働」である、と答えるんです
「闘争」がどれほど活発化しようが、最後は「協働」しないと人間は生き延びられないからです
我々全員が「弱者」であり、「弱者」を生かすのがホモ・サピエンスの生存戦略だということです
ナイス 4593」引用終わり。
一応知ってはいたのですが、良くまためられた文書です。 基本的視点として、皆で共有しましょう、ねw
ではではまた明日。