8月15日

 何故、戦端を開けば必ず負ける太平洋戦争に日本は突入をしたのか。
真珠湾攻撃の第一報を聞いたチャーチルが、これで連合国側が勝つと喜んだ話は、彼の回顧録にある通りで、第二次世界大戦にアメリカを参戦させて枢軸国の破滅は約束されたのですからね。
 日本参戦の一つの事情に、日本社会の閉鎖性があったことは間違いないようで、周囲に愛国の風が吹きまくり、自分だけ非国民と共同社会から排除されてはならないという気性があったのですね。
 その愛国心=売国奴の嵐に対しては、昭和天皇の弟の三笠宮が指摘されているとおりです。

 だから、僕は、中学生の頃から、たとえ世間が、周囲の人が何と言おうと、自分が正しいと思ったことは、敵が百万居ようとも我一騎で突き進むのだと覚悟したのですね。
 問題は、正しいとの判断はどのように確保出来るかで、そのために帰納法を学び、よりデータを豊富にするために読書を心掛けたのですが、、、、、、、。 まあ、日暮れて途遠しです。
 唯常に、そのようにして自分の頭で考え抜いて、一歩一歩歩いて行かない限り正解にたどり着くこともできないのだ、苦悩を突き抜けて歓喜に至るのだと決心したのはまさに17歳の頃でした。

 ふむ、思えばあれから想像もしなかった歳月が流れたのか。
 しかし、反戦の覚悟は微動だにしていないw  ね、諸君www

 はーい、昨日の二階堂美術館での日本がは素晴らしいものでした。
 先日のOPAMの竹久夢二は、画家ではなくデザイナーだと納得できましたねw

 では、日本画の神髄のいくつかを。

 おっと、内田樹先生の今日の言説は鋭い。
「生命主義と「悪」
2025-08-15 vendredi
―― 現在の政治的混乱はどう見ていますか。
内田 世界中で権威主義が強まり、まともな民主主義体制を維持できている国は減少する一方です。民主主義指数8.0以上の「完全民主主義国家」は世界の15%にまで縮減しました。欠陥民主主義国家(民主主義指数7・0以上)まで含めると世界の42.5%です。残りは強権的な独裁制に近い。
 中国やロシアやトルコは権威主義的な体制として大国化していますし、西欧でも排外主義的な極右政党が台頭している。米国のトランプ大統領は立法府・司法府を力で押さえつけて「国王」のような権力をふるっています。英国ではリフォームUK、フランスでは国民連合(旧国民戦線)、ドイツではAfD(ドイツのための選択肢)が勢力を拡大し、イタリアではファシスト党の流れを汲むFDI(イタリアの同胞)のメローニ党首が初の女性首相になりました。
 日本の参院選での参政党の急伸も同じ文脈での出来事と見なしてよいと思います。自民党が少数与党に転落して、国内政治が多極化して、先行きが不透明になっていますが、既成の政治秩序が崩れているのも世界的な現象です。
 たいせつなのは原因と結果を取り違えないことです。例えば、トランプが大統領に選ばれたから問題が起きたのではなく、シリアスな問題があったからこそトランプが大統領に選ばれたということです。トランプは原因ではなく結果であり、問題ではなく、答えなのだ。そうとらえるべきだと思います。
  
―― それでは、現在はどのような歴史的転換期にあるのですか。
内田 現在はグローバル資本主義が終焉に向かい、ポスト資本主義へ向かう歴史的転換期にあり。その移行期に権威主義や極右政党が台頭しているのだと思います。
 なぜ移行期に極右思想や狭隘なナショナリズムが登場するのか。それは、これらの思想が「土着」的で、独特の身体性を具えているからだというのが僕の診立てです。
 資本主義は「非人間的」なシステムです。そこには身体もないし、生命もない。その点がかつての統治システムと違う。例えば、中世の封建制はもちろん非民主的で非人道的な制度ですが、人間の身体を基盤にしていた。領主と農奴の関係は、支配する人間と支配される人間の間の生々しい権力関係でした。領主は別に経済的利益のために農奴を収奪したわけではなく、彼らの身体も魂も含めたすべてを所有しようとした。
 一方、資本主義では、たしかに労働者の身体が生み出す価値が収奪されるわけですけれども、ブルジョワとプロレタリアの関係は中世的な主従関係ではありません。プロレタリアは自分の労働力を「商品」として市場で売る限りでは資本主義のプレイヤーであり、ブルジョワたちもまた資本主義という非人間的なシステムの「歯車の一つ」であって、資本主義というシステムを操作しているわけではありません。
 マルクスは『共産党宣言』に「ブルジョワジーは自分たちの墓掘り人を生み出している。ブルジョワジーの没落とプロレタリアの勝利はともに不可避なのである」と書いています。この予測は外れましたが、ブルジョワジーが資本主義システムの「人形使い」ではなく、その「操り人形」に過ぎないという指摘は正しいと思います。たしかに資本家は資本主義システムから受益していますが、受益者がシステムを統御しているわけではありません。いつも引く例ですけれども、「風が吹くと桶屋が儲かる」からと言って、桶屋には気象を操作する超能力があると推論することは誤りです。受益者は必ずしも操作者ではない。「受益するポジション」に「歯車の一つ」として組み込まれているだけです。
 システムは人間の意思や感情と無関係に増殖します。ポスト資本主義へのシフトという劇的な変動の予感を抱いた人々は、これまでの「支配者対被支配者」という人間同士のゼロサムな戦いというスキームではなく、「非人間的なシステムと生身の人間の間の戦い」、「無生物と生命体の間の戦い」というスキームで世界を見るようになる。今世界で起きていることはこの補助線を引くとわかりやすくなるのではないかと僕は考えています。

 グローバル資本主義が全世界を覆う過程で、既成政党は政策的にグローバル企業の利益を優先し、国民生活への配慮を怠りました。その結果、先進国では中産階級が没落し、一握りの超富裕層と多数の貧困層に社会が二極化しました。反グローバリズムはこの二極化の当然の帰結です。かつて自分たちが所有していたステイタスを返せという「ルサンチマン」に駆動されている。
 ただ、それが単なる政治的な反動にとどまらず、ある種の「生命主義」を掲げる点に際立った特徴があります。資本主義という非人間的・非生命的なシステムに対する「人間の反乱」「生命の叛逆」というスキームを彼らは採用している。多くの場合無自覚にだと思いますが、直感の筋は悪くない。
 今世界的な極右運動の通奏低音になっているのは「システムよりも生命を」というメッセージです。参政党は「日本人ファースト」を掲げましたが、これが有権者をとらえたのは、そこに「人間ファースト」「生命ファースト」という語られざる生命主義的なメッセージを読み取ったからだと思います。
 生命主義は何よりも原始的な生命力を重んじます。社会制度の抑圧を弾き飛ばす、剝き出しの生命力を賛美する。だから当然にも知性や道徳よりも生命力や動物性が優先される。権威主義や極右政党の指導者のすべてに共通するのは、知性や道義性に対する軽蔑的な態度、そして、自分自身の男性的精力や本能的な言動に対する自負です。トランプ、J・D・バンス、E・マスク、安倍晋三、橋下徹、立花孝志、神谷宗幣らはいずれもその条件に当てはまっているように僕には見えます。トランプは5人、マスクは14人の子どもがいるそうですが、これも「多産」を動物的な生命力の表象として受け止める有権者には魅力的に映るのでしょう。
 日本では古来、生命力に横溢するありさまを「悪」と形容してきました。悪源太義平、悪七兵衛景清、悪左府藤原頼長などの呼称に託された「悪」には「力強い、凄まじい、勇猛、型破り」という畏怖と称賛の念が込められています。その意味で、現代は「悪党の時代」だと言うことができると思います。
 
 世界中どこでも多くの人々は資本主義の下で収奪され、抑圧され、先行きに強い不安を抱えています。どうしたらいいか分からない時には、頭の良い人間や行儀の人間ではなく、既存のルールを踏みにじることを厭わない荒々しさと直感力を持つ人間に惹かれてしまう。移行期的混乱において、人々は無意識的に「悪に惹かれる」。これは僕自身が経験的に言えることの一つです。
 ですから、「悪党の時代」では、野蛮な言動や傍若無人な言動が民心を集める政治的リソースになる。リベラル派は「私たちは国民の皆さんの生活が楽になるように努力します。何がお望みですか?」と下からお伺いを立てます。でも、そもそも国民自身がいったい自分が何を望んでいるのかわからないのがカオス的状況というものです。だから、「何をお望みですか?」と訊かれてもわからない。「え、じゃあ金くれ」くらいしか言えない。でもリベラル派はお金なんかくれません。それだったら「お前らは黙って俺について来い」と上から命令する政治家の方が信頼できそうに思える。自分たちに対してこれほど偉そうに接するのはきっと彼が「行くべき先」を知っているからだろうと考えてしまう。
 実際、第二次安倍政権以降の自民党は「国が国民に何を提供するか」ではなく、「国民は国に何を捧げるべきか」をうるさく語ったせいで憲政史上最長の政権を維持することができました。有権者は「何も説明せず、えらそうに命令する政治家」の方が好きなんです。小さい頃から「力のある者」に従えと教え込まれてきたので、「有権者の同意さえ求めないで好き放題政策を決定をする政治家」を見ると「この人はそれだけの力があるのだ。だからこの人に従おう」と推論してしまう。
―― 生命主義がトランプのような「悪党」を生み出すのですね。
内田 そうです。「悪党」の本質は生命力なんです。「悪党」たちは人為ではなく野生のものに価値を見出す。だから、反ワクチンや反農薬やオーガニックや代替治療に親和的ですし、同時に、政治的エリート、官僚、メディア、大学知識人に激しい反感を抱く。これは、「知性は生命を抑圧する。知性は本質的に反生命的だ」という確信があるからです。
 問題はこのような生命主義が容易に排外主義に陥ることです。生命力を賛美した政治運動の代表はナチズムです。彼らは民族の純潔と健康を守るために、外来の食物を食べないこと、精白しないパンを食べること、有機農法や自然療法やドイツの野山を歩き回るワンダーフォーゲルを奨励し、最終的には「劣等人種」の抹殺にまで至りました。「祖国の土から生まれた純粋なものだけを摂取して、純潔な心身を作る」という思想と、ユダヤ人やロマや障害者を抹殺するホロコーストの思想は「純化」という意味では同型的なのです。
 現代の「悪党」たちもまた愛国主義を鼓吹し、外国人を排撃しています。いずれ自分たちに反対する者を「非国民」「反日」とラベルを貼って排撃するようになるでしょう。偏狭なナショナリズムは「ネーション(国民)」の概念をひたすら縮減して、純化しようとします。ですから、運動としては分派と縮減を宿命づけられているのです。でも、短期的には強い求心力を発揮する。
―― 生命主義はグローバル資本主義を壊せますか。
内田 難しいと思います。私たちはグローバル資本主義に組み込まれており、すでにシステムの一部になっています。システムの一部がシステム全体を破壊することはできません。できるのは、システムの手の届く範囲の欠陥を補正し、システムの暴走をなんとかして減速させることくらいです。でも、その程度の仕事のためであっても、一定の計量的な知性がどうしても必要です。ただ生命力をぶつけてもシステムはびくともしません。
 生命主義は感情的反発ですからシステムを破壊することも、修正することも、もちろん管理することもできません。「システム対生命体」というスキームは魅力的ですけれども、これをファシズム以外のかたちに思想的・政策的に展開することはきわめて困難だと思います。
(「月刊日本」への寄稿の一部、8月14日)

(2025-08-15 09:41)

 ではでは、キリストの生誕を喜ぶこの歌を聴きながら、盆休みを心行くまで、ねw

投稿者: mitsui

福岡県久留米市生まれですが、一つのときから大分で育ち、ほぼ生粋の大分県人です。 家業が屋台のおでんやでしたので、おでんの産湯で育ったとお想い下さい。小学生の頃の夢をかなえた幸せ者ですが、その分夢現の境無く事件に追われまくっている毎日です。 それでも、被害者支援をライフワークとして最晩年を過ごせる喜びはまた深いですよ。 

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