今朝も寒かった。 ジャンバーの内側に毛糸のベストを着こみ、下着は長そでの万全の装具(!)で散歩開始です。
井手口市議は、またまた福岡出張の深夜1時過ぎのJRで帰宅故散歩はお休みです。 そうです、睡眠が一番!
で、日の出は午前6時48分でした。
もう、6月の夏至の時より、2時間は遅くなりましたね。 いよいよ秋深まり冬の到来です。
さて、土手を歩いていると、退役盲導犬ハーディーとその散歩仲間の方たちと会いましたが、ちょうどあったあたりではモーターパラグライダーのクラブの方が拠点設営中でした。 思い切っていろいろ尋ねると、プロペラエンジンは重さが約40キロアルトのことでびっくり! ただし女性用に20キロのもあるそうです。
すごいねえw
特に免許はいらず、定年退職されてからはじめる人も多いとか。 ほんとかなあ。 あ、そういえば、知り合いの先輩、Nドクターから、年甲斐もなくパラグライダーを初めて気分爽快ですとの便りをいただいたことがありますね。 そのあとに、やはり無理でした、墜落して骨折しましたとの便りを続報でいただきましたがw
まあ、あこがれて、それでおしまいの巻きですかねw パラグライダーとハンググライダーとの異同はこちらをどうぞw
と、気持ちの良い朝でした。
昨日もよかったですよ。 朝の模様と、庄の原佐野線の架橋工事が渇水期に入ったとのことで再開していますので、その画像をお届けします。
はーい、今日は荷揚町小学校の同窓会お誘いの往復はがきを宛名シール貼付係の三井君(三井時計店の三井俊夫君で幼稚園の時は手をつないで通園していました。荷小下校時に雨が降り出したので東洋軒と大分銀行の間の横断歩道を走ってわたっているのを撮影され、仲良く大分合同新聞に掲載された思い出がありますw)に届けて歯医者に行き、午後は来週検証予定の現場に依頼者と言って打ち合わせをし、そのあと午後4時から別の依頼者と証人尋問の打ち合わせをします。
そのあとは、、、、はい、一土こん会ですねw ぽん太ですねw
清沢洌の暗黒日記は昭和19年10月まで読み進みました。 サイパンは陥落し、憲兵を使った恐怖政治をしたさしもの東条内閣も退陣して、台湾沖航空戦の大虚報に沸いた後のレイテ決戦あたりですね。 清沢の慧眼恐るべし! 見える人には見えたのであり、徳富蘇峰らは皇国史観の神がかり戦争放火魔だったのは間違いありませんね。 それでいて、戦後、前面に出ない天皇が悪いとか、軍人がこんなにひどいとは思っていなかったとか、何を言ってるんだ。 要はジャーナリスト、歴史探究者として目が節穴だったに過ぎず、さっさと腹を切るべきだったのですね。 そんな覚悟があれば、戦争放火魔にならず、権力や時勢に抗していたか、そりゃあそうですね。
ではでは皆さん、またまたねw