小豆島はいい島でした。  第2、3部

 第2部
 さて、栗林公園出口で、さぬき高松光頭会の暖かいおもてなしを受けた後は、無事東京から来た中林組の面々と合流。  東京からと言っても、弘前の中林組長弁護士や新潟県長岡からの小林弁護士らも一緒ですので多士済々ですね。

 その後は、高速艇で一路小豆島へ。この間、幹事の小豆島出身岡弁護士の電話番号をみんな知らず、一騒動。  彼は、わざわざ高松港で僕らを迎えてくれたのですが、予定の高速艇より一つ早いのに僕らが乗ったため、あえなく彼の好意は水泡に帰したのでした。
 ごめん、岡君。

 泊まったホテルは、リゾートホテルオリビアン小豆島ホテルです。
 こんなホテルです。  部屋から撮ったものですね。
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 絶景と言われる夕日も朝日も雲に隠れて見えなかったのが残念です。

 で、宴会は、一次会は座敷で、二次会はVIPルームでカラオケを。
 しかし、座敷は膝が悪い僕には結構きつかった。
 でも、笑顔笑顔で楽しかったなあ。  みんなから、「三井は全然変わらないなあ」と言われ、一応は「昔からそんなに老けていたですか。」と憎まれ口をたたきながらも、ははは、うれしかった。  燗酒の地酒はうまかったですよ。
 では、宴会場での集合写真を。img_4158
 個別の表情はこの写真で。
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 あれ、布施さんが写っていません。 ちょうどたばこを吸いに外に出ていたときですね。  ごめんなさい。

 カラオケは、結構夜中までみんなで歌い続けました。  それにしても、岡君がカラオケずきになっているのには、少々驚かされました。  歳月は人を変えるのですねえw

 と言うことで、第2部の夜は更けていきましたとさ。

第3部
 さて、この日は午前中は観光中心。  午後は、僕が一足早く帰る予定となっていました。
 その中で、観光の目玉で4つのことが特に印象に残りました。  そして、僕が帰る際に、2つのハプニングがありました。
 では順を追って、先ず観光から。
 その1は、風景がとても良く、幸い紅葉も始まりはじめで、それなりに良かったことです。
 先ずは、四方を指すとされる頂へのぼり、それから「寒霞渓(寒霞渓ロープウェイ)」のロープウエイでの絶景見学です。  論より証拠ですね。
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 ロープウエイでの絶景見学ですが、下りのみ乗りました。 駅で売っていた焼き栗を伊東さんに買ってもらい、食べておいしかったことも印象あるのですが、食べるに忙しく画像が、、、無い。  はーい、景色ですw
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 ロープウエイのゴンドラのシルエットが分かりますね。
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 さて、もちろんオリーブ公園にも行ったのですが、駐車場の脇になっているオリーブの実をかじって、えぐくて苦くて生油っぽくて、最悪。 見た目はサクランボみたいなのですがね。
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 三っつ目は、「二四の瞳」の舞台になった分教所です。 僕らの時代の人間からすると涙無くては語れない、あの二四の瞳ですね。
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 教室の中も良く整備されていました。
 先ずは、デコちゃんの写真です。
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 1、2年生の教室の机などのかわいらしいこと!
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 黒板の上の壁に貼られた年表は、1957年の記述間でありました。 24の瞳の時代のその後ですね。 1957年は敗戦後のサンフランシスコ講和により日本の占領が終わった後ですが、24の瞳の舞台は戦前と戦後直後ですものね。  素晴らしい反戦映画でした。
 ここでは、小豆島の名産醤油で味付けしたソフトクリームを太田先生からいただきました。  味は、、、、、、、、、、、、、表現するに「微妙」です。
 推して知るべしです、はい。

 四っつ目は、意外と宗教深いことです。
 もちろん真言密教系ですが。
 先ずは、小豆島全体で八八ヶ所の札所巡りができることです。 四国本島より早くあったそうですよ。 その内、四二番札所の龍水寺に行ってきました。 もちろん上までヘヤピンカーブの山道をマイクロバスで上ってのことですが。
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 お寺の回廊から見る風景も良いものでした。
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 あれ、御大は下で待機ですね。
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 その後は日本一大きな「シンパク」をみました。樹齢が1500年から1600年だそうです。
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 以上が特に印象に残った事です。
 では、せっかく小林先生が送ってくださった集合写真をちょっと。
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 それからは皆さん一人一人と再会を約して握手。 お別れです。 僕は、一人、フェリーに乗り高松港に向かい、来たときとは逆のコースで帰宅です。
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 さらば、小豆島よ。 今生の別れか。  ほんとにありがとう。 いい島でしたw

 おまけは、意外と立派だったフェリーの客室と瀬戸内海の風景です。
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 ねw
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 では最期に2つのハプニングの紹介を。
 その1は、パンクです!
 前述の龍水寺の山道を下りて一般道に出る直前、僕を送るために乗せてもらった岡先生が公認会計士の弟さんから借りていた乗用車の右前のタイヤが、がつんと言う大きな音と共にパンクです。 驚いたなあ!   で、哀れ三井は小豆島の土となるところだったのですが、皆ののったマイクロバスが引き返してきて、無事僕を港に送り届けてくれました。  パンク車と共に山の中に残った岡先生、ごめんね。
 まあ、しかし、一度別れの握手までした方々と再度会うのは、なんかね、照れくさいというか、何というか、バツが悪いものですw

 その2は、恐怖の乗り継ぎです。
 と言うのも、フェリーが高松港に着くのがやや遅れて、およそ400メートルは離れ痴いるJR高松駅での特急の発車時刻との間が10分は切っていたことです。 驚いたし焦りまくり。 フェリーが岸壁になかなか接岸しないので、思わず走り幅跳びで飛び越えようと思った程です。せんで良かったけど。 してたら、冥土の旅ですね、全く。
 一番難儀したのは、どの方角に高松駅があるのかが下船したところから案内が全くなく、困った、焦った。
 何とか、前日の記憶をたどりたどり、高松駅を道を曲がって見つけたのだけど、今度は指定の特急のホームが一旦地下に潜ったりしていかねばならなくなったら、、などなど焦った焦った。
 幸い、高松駅は、上野駅などと同じく、改札口を入った右から順にホームが並んでいたから救われました。
 で、列車に乗ったのは発車1分を切ってましたね。  わーー、しんど!!
 大汗をかいてしましました。  今は笑えるけどw

 はーい、これが僕の今度の小旅行でした。 来年は、みんな何時誰が死ぬか分からないので、新潟県長岡で花火を見ようと約束しましたが、どうなる事やら。
 しかし、短いながら鋭気は十分養いましたので、昨日今日と、仕事はバリバリです。
 やっぱりね、000は必要です。

 ではでは皆さん、来週は渾身の証人尋問もあるし、頑張りましょうね。 そら、お正月はもうすぐだ、イケイケ!   またね。

 追伸
 ヒラリークリントンの演説は、ネット検索するとどっと出てきますね。
 それでも彼女の演説の偉さが分からない人は、自分が理想に向かって戦ったことがない人なのでしょう。 彼女の特に若い女性、少女に語りかけるその話は、彼女の中に今も生きているぐっと歯をくいしばって前を見つめつづける彼女自身の少女の頃の姿を僕らに思い起こさせます。 素晴らしい演説でした。賞賛は惜しまれるべきではありませんね。
 では。