春の嵐か

 昨夜は一晩中落雷と豪雨で、うちのミコは哀れな声を上げ続けていました。

 かわいそうに。 ただし、布団の中には入れてあげませんでした。  躾ですねw

 安西先生から追伸のコメントをいただきました。
「追伸:全国の心ある弁護士達が立ち上がっているのは大賛成でエールを
送るのですが、違憲状態の時期の対象者で裁判官や検事になっている人も
いるので、是非そういう方にも声を上げて欲しいものです。上げるべきでしょう。裁判官は判決でその考えを表して頂きたい、そういう良心に期待します。」

 全くその通りです。
 裁判官が自分の意見を公然と言うのは、憚られるとの考えはありますが、判決の中で論じることは、裁判官のみに認められる素晴らしいツールなので、是非ともそうあってほしいですね。
 安西先生の「裁判官の良心」という言葉は鋭い指摘です。 憲法76条3項では、「すべて裁判官は、その良心に従い独立してその職権を行い、この憲法及び法律にのみ拘束される。」と規定されています。
 この裁判官の良心について、古代ローマ時代の哲学者プルタルコスは、「裁判官の良心は、エジプトの王が裁判官に宣誓させるときの大事な概念であって、王が要求する良心とは、裁判官になった後、王が違法なことを命じてもそれを拒否しなければならず、激怒した王から例え首をはねられようとそれを貫くことだ。」と紹介しています。
 ほう、古代エジプトも、それを引用する古代ローマも、まさに人間の誇りたる文明の担い手であったことが、この点からも分かりますね。
 さて、現代日本の裁判官は、古代人の文明を凌駕するか否か、着目しましょう。

 はい、意見陳述改訂版をアップしておきます。  ちょっといじってみましたw
「1 目の前の光景を直視して下さい。
  驚きませんか。
  司法の土台である、その土台として何より重要な人作りの要かつ基盤である司法修習の崩壊した様を。
  かろうじて、平成29年の裁判所法改正立法により、その後の第71期以降の立て直しが図られたものの、救済を放置された第65期以降第70期までの惨状を。
  高度な専門職の修業徒弟制度において、一方で兼業を許さず、全面的に修業に専念させながら、他方でその衣食住につき保障しない制度は、一般社会において古今東西存在しません。
  ですから、一方で修業に専念させ、他方で給費制を廃止し、何ら生活の糧についての保障をしない給費制を廃止した平成16年立法に対して、そのことを伝え、知った庶民国民は、口を揃えてこう言います。
「それはひどい。あり得ない。」と。
2 これは単に気の毒だとか、可哀相だという問題なのではありません。
  司法の土台が大きく揺れ動き、そのありようようが根本的にくずれようとしていることなのです。
  これまで、原審において第67期の弁護士が本人尋問に立ち、法律家としてのスタートにおける多額の借金の重圧について種々供述しています。
  しかし、ことは勿論弁護士に限定された問題ではなく、裁判官や検察官に任官された人達にも共通した問題です。
  一体、研修時期に約金300万円もの多額の負債を背負い、更に法科大学院やその他の奨学金の負債も含めて、金1,000万円もの大きな負債を抱える任官者が初任者にいることは、本当に法と良心に照らして、場合によっては、断然職を賭して正義を貫くことができるのか、多額の借金を抱えていては、養うべき家族を持っている身であれば、それはできないのではないかとの疑問が生じ、あるいは、証拠の公平な評価が困難となり、一方的に債務者側に有利な判断をしたり、逆にそれをおそれるあまり不利益な評価をするのではないかとの疑問が生じる等、司法に対する国民の信頼は揺るがざるを得ないこととなるのは明らかです。
  他方で、このことが第62期以降、ほぼ100名に近い裁判官任用が行われていたにもかかわらず、第69期からの裁判官任用が79名と大幅に任用を削減され、平成29年12月における第70期からの判事補任官者採用が第58期の124人と比較すると約半分の65名となっているという事態を招き、司法制度の充実整備をするとの司法改革の目標達成を不可能にしているのではないかという憶測が流れざるを得ない事情を生むこととなるのです。
  即ち、司法修習生への無給の制度は、司法の根幹である国民の期待をゆるがせにする制度と言わざるを得ないのです。
3 原審の大分地方裁判所は、司法修習制度への意義と位置づけについて、「憲法に規定された司法制度が実効的に機能するための人材を育成する役割を担っている」とし、これが我が国の司法制度の上で、極めて重要な制度であると判示しています(原判決23ページ)。
  しかしながら、原審は、そのあり方、特に給費を支給するか否か等については、これを立法に委ねる外はなく、その裁量について著しく不合理な制度であるといった特段の事情が無い限り、裁量を逸脱しているとは言えないと判示しました(原判決24ページ等)。
4 しかし、私の意見として力説したいことは、原審が致命的に誤っているのは、この点の問題の核心が、「権力分立をおかしているか否か」であることを看過しているところです。
  私が申し上げるまでもなく、司法・立法・行政の権力分立は、それを欠いた社会は、憲法をもたないとフランス人権宣言第16条で宣言されているとおり、近代憲法の大原則の前提であって、当然の我が日本国憲法の憲法原則となっています。
  そうすると、司法と分立すべき立法が、司法の根幹にかかわる司法制度を担う法曹養成制度に対し、税金の支出を根拠付けるためにやむを得ず法律を定める際には、いやしくも司法制度の根幹をゆるがせにする立法をすることは禁止されているのであり、このような司法の根幹にかかわる法曹養成制度についての立法においては、司法に対し、給与を減額するとか、無給にする等の制限的な法律条文を制定するためには、一見して明らかな合理的理由が無い限り許されず、原則違憲であり、例外的に極めて合理的かつ正当で、権力分立原則をおかすものではないと言えるときに、はじめて合憲となるものと解するのが正当であって、この原則と例外を逆にする原判決が誤っていることは明白だと言わなければなりません。
  そうでなければ、立法の優位性と党派性のため、司法が立法により侵されるに至り、立法と司法の分立は、絵に書いた餅に容易になることも当然だからである。
5 この権力分立と司法の独立の精神の明文化が、憲法78条の裁判官の身分保障規定、同79条6項の最高裁判所裁判官報酬減額禁止規定であり、その精神が司法の担い手である法曹三者並びにその重要な人材である司法修習生に及ぶものと解するのが正当であり、司法の立法や行政に対する完全な独立無くしては自由は存在しないとする「法の精神」(モンテスキュー)が今一度確認されるべきだと言わなければなりません。
6 ところで、現時点では、平成29年立法により、第71期以降は、不十分ながら救済され、第65期から第70期までの間に修習を受けた者のみが、何ら救済されず、放置されています。
  これは、全く合理的な理由の無い不当な差別であって、憲法第14条の平等原則に反し、許されないことは明らかです。
  現に、大分県弁護士会の会員が、地元選出の国会議員と懇談した際、同議員の方から、「この世代を救済せず放置することは許されないでしょうね。」と語りかけられ、何らかの救済措置が必要だと言っていることが、平成30年2月24日開催の大分県弁護士会通常総会において報告されている程、その問題性は明白なのです。
  だからこそ、福岡高等裁判所の御庁が、本件について「違憲判断」を示すことが何よりも重要であり、そのことが「引き金」となり、「号砲」となってこの放置することは許されないという問題に既に気づいている国会をして、同世代の救済立法を制定させることは十分期待できるのです。
7 そもそも、この世代の大分県弁護士会において登録した延べ人数は31名であるところ、その内、本訴と先行した福岡訴訟分も含めて、当事者として声を上げた弁護士は、わずか11名にすぎません。
本訴訟は、個人的な経済的利欲に基づくものではないことは、その損害賠償額が金1万円であることからも直ちに判明するところです。
  そうではなく、本訴訟の目的は、この修習生に給費を支給しないことが、司法の根幹を揺るがし、近代憲法の大原則である権力分立の三本の柱の内の一つであり、人権保障に直結する司法を脆弱にし、否定しかねないものであることを強く訴え、かつ、後輩である修習生に、自分達と同じ苦しみを与えることを是非とも避けようとすること等にあります。
  しかるに、先ほど述べたとおり、修習無給時代の登録者31名中の福岡での訴訟分を含め11名の、わずか35パーセントの法律家のみがそれに立ち上がったにすぎません。
  これは、本件の平成16年立法による給費制を廃止した修習制度が、法曹としてのスタートから多大な借金の支払に追われる状況を作り出し、遺憾なことに、無償で公益的目的に立ち上がるプロボノのマインドを喪失させた疑いがあると言いうるのではないでしょうか。
  このような公益目的の弁護士活動に参加しない人々の方が多い状況下では、かつて、大分県弁護士会が全会一致で全国に先駆けて実現させた当番弁護士制度や、今、更に進化している被害者支援のために立ち上がる大分県弁護士会や九州弁護士連合会の活動もあり得ないこととなりかねず、私達はこれを正に恐れているのです。
8 壮大な社会実験として発生した司法修習無給制度は、通常あり得ない極めて短期間にその失敗が明白となった結果を社会全体に示しており、平成29年立法をせざるを得なかったということ自体が、この社会実験の失敗の結果に対する日本国全体の回答です。
  この偉大な結果は、控訴人らをはじめとする第65期から第70期の世代の弁護士が、全国の同種の訴訟を提起した勇気と理想に燃えて、私達を引っ張り、これに呼応して全国の弁護士や心ある人々の、本訴を含めた絶え間のない運動が大きく寄与しているものと言わねばなりません。
そして、今又、谷間世代として放置されている差別的取扱を受けている彼ら世代の法曹、並びに平成29年立法でも十分な給付を受けていない第71期以降の人々に対し、その方達を救済するためには、その大きな役割を果たすものとして御庁があるのであって、どうか、裁判官の良心に従い、原審の間違いを正され、控訴人の主張を認める旨の御庁の正義に基づく断固とした判決を是非とも期待するものです。
9 最後に、私達がこのように国の施策等について、異議を申し立てることについて、全く蟷螂の斧であって、無意味だと考える人がこの法廷に1人でもおられるならば、私はこう言いたいのです。
  もし、私達が空想家のようだと言われるならば、
  救いがたい理想主義者だと言われるならば、
  出来もしないことを考えていると言われるならば、
  何千回でも答えます。
「その通りだ」と。
以 上     」

 と言うことです。
 ではみなさん、またまたね。

投稿者: mitsui

福岡県久留米市生まれですが、一つのときから大分で育ち、ほぼ生粋の大分県人です。 家業が屋台のおでんやでしたので、おでんの産湯で育ったとお想い下さい。小学生の頃の夢をかなえた幸せ者ですが、その分夢現の境無く事件に追われまくっている毎日です。 それでも、被害者支援をライフワークとして最晩年を過ごせる喜びはまた深いですよ。 

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