うん、気持ちいい。
一つは、森友問題で進展があったからでしょう。
ただ、財務大臣辞職から、内閣総辞職までまだまだ紆余曲折がありそうですね。
森友問題では、最大の功労者である菅野完さんが、こんなレポートをしていました。
引用始め「とうとう、改竄の事実を財務省は認めるわけです
9日夜の段階では「12日月曜日に財務省が発表」ということになってたんですが、我慢しきれず、10日夜に改竄を認めることを先んじて流してきました。
これがどうも不思議なんです。
昨日夜Twitterでは「これまでの森友問題の疑問点総ざらいを書く」と予告してましたが、予告変更。どうもおかしいことが多すぎるので。
時系列をまず整理します。
3月7日夜 近財職員自殺
3月8日昼 前の近財の局長、竹内が、官邸に呼ばれる
3月8日夕刻 財務省、資料コピー大量放出
3月9日昼 佐川国税庁長官、辞任表明
3月10日夜 翌11日に改竄認める方針の漏洩
と、上記が公開情報です。みんな知ってる情報。
ですが、これ矢継ぎ早に起こってるからみんな、直前のこと忘れてしまう。こうやって並べると、一連の財務省の動きが「完璧」であることが理解できます。
即ち、「職員自殺」という不確定イベントが発生した後、それのダメージコントロールとして、順次、「痛くないところ」から切り離しをしているわけ。8日に竹内が官邸に呼ばれている段階で、「改竄をみとめる」「どで延焼を食い止めるか」の想定ができてる。
が、不確定要素が9日夜に増えてるんです。これ誰も気づいてないというか、望月のせいで記者会見がぐちゃぐちゃになったので共同の記者が聞けそうになったのに流れた質問がある。
9日夜、会見で麻生は、「昨年の国会対応で丁寧さを欠いた」ことを事由に佐川が辞職を申し出たと。退職日付は当日だと。適材適所であり、職務に問題がなかったのだが、本人が辞めるというので辞表を受理したと表明しています。一方で、「今後の調査次第では、減給などの追加の懲罰もある」ともいってるわけ。
これ矛盾してますよね? だって「問題ないけども、本人が辞めるというので辞めさせた」のに「退職後に追加懲罰がある」ってのはおかしいでしょ。この矛盾は誰でも気づけるし、現に共同の記者が聞こうとしてる。望月のせいで潰れてしもうたけど。しかしこの矛盾を、いま財務省は逆手に取ろうとしています。
昨日インタビューした財務官僚がさっき電話くれて「書いてもいい」との許可が出たので、そのまま書きますが、上記の麻生の発言は「あえて矛盾させている」のです。
どういうことかと説明すると。。。。。
「問題あるから辞めさせた」ではなく「問題ないけど本人の意思でやめる」としないと、任命責任に直結する。これはわかりやすいですよね?
しかし一方で、「改竄があったことを認める」路線は、8日昼に決めてる。 だから「改竄の責任者」は出さないといけない。で、改竄の責任者として選別できうるのは佐川しかいない。佐川を責任者とするためには、「追加懲罰」を前もって予告してないと整合性がとれない。
で、この麻生矛盾発言のあと、佐川本人が囲みの会見で「今般、騒がれている、書類の改竄当時の理財局長であったことから」という話を自分でしてる。
つまりこれ、「8日昼に全部出来上がってるストーリー」なわけ。 野党の奮闘であるとか、与党側の反執行部の動きとかあんまり関係ない。財務省の独壇場ともいっていいほど見事なダメージコントロールです。あの会見ではこれを崩すことができた絶好のチャンスなのに、わちゃくちゃになってしまったのが本当に悔やまれる。財務官僚も「危機一髪だったけど記者団が崩壊してくれたからよかった」と胸をなでおろしてる。
で、財務省はいま、佐川の証人喚問まで呑むつもりでいる。証言者の言葉を借りれば「人身御供」。佐川が証人喚問でて、「改竄は私が命じました」と証言する。改竄は、発:佐川→宛:近畿財務局管財部の命令であったと証言する。しかしその命令の具体的内容については、「公文書変造は刑事罰の恐れのある話ですので、証言を拒否します」で通す。こうなると、「佐川がトカゲの頭」になるわけです。「佐川は、大臣答弁に合わせて改竄した」のは明白ですが、これが「忖度」の恐ろしいところで「なぜ改竄を命じたのか?」というモチベーション・動機の部分は、どのみち「本人自白以外、証拠のない話」なわけです。そこで「本人自白」が「刑事罰があるため答えられない」なら、この追求はそこで終わってしまう。「あ
とは検察に任せて」にならざるを得ない。こうしておくと麻生と安倍は「被害者ポジション」に立つことができる。「あいつ勝手にやりよったんやー」ということにできる。検察の捜査が2018年9月以降でありゃ、何とでも逃げられるわけです。
財務省は実は、安倍を守ろうとしてないわけです。麻生を守りたいの。財務省のために働いてくれるから。総理は変わっても財務大臣を変えたくないのが財務省の魂胆。一方、安倍は、麻生派を押さえておかないと総裁選がしんどいので麻生を切れない。財務省と安倍の利害が「麻生を守る」で一致しとるのよ。それを見越して、財務省は「佐川の人身御供で手打ち」で話をおわらせようとしてる
完璧なシナリオですな(腹たつし許しがたいけどな)。
。。。が、上記、財務省のシナリオがひょっとしたら崩れそうかもしれない。
昨日の総理動静
午後1時21分、同県南相馬市の生産設備メーカー「協栄精機」着。同社工場を視察。佐藤正弘社長、門馬和夫市長らと懇談。同51分、同所発。
午後3時12分、同県葛尾村の村立葛尾小学校・中学校着。児童、生徒らと懇談。同55分から同4時まで、報道各社のインタビュー。同4分、同所発。
午後4時58分、JR郡山駅着。同5時5分、やまびこ52号で同駅発。
午後6時27分、JR東京駅着。同31分、同駅発。同7時1分、私邸着。
11日午前0時現在、私邸。来客なし。
ここで終わってる。
けども、複数の政治部記者からの情報だと、午前0時過ぎ、麻生が安倍私邸に入ってる。
どうも昨日、安倍が翻意して、麻生を切ろうとし出してる様子。
昨日3月10日に被災地回りをしていた安倍は、ずーっと記者に囲まれてる。約12時間、記者に囲まれっぱなしだったわけです。おそらくそれで「事態の深刻さ」を理解したのだろうとおもいます。財務省の絵図面に乗っかって「麻生を守る」路線で動いてたし、それには絶大なメリットはあるが、しかし一方で「麻生も切れない」のは、世論の流れに勝てないのも事実。ここでの瀬踏みで、安倍はどうも「世論に阿る」方向に梶をきったのではないか。
まあ上記は「深夜、麻生が安倍私邸を訪問してる」という未公開情報からの推測ではありますが、夜中に財務大臣が総理私邸訪問ってのは、政局以外ありえないわけで、「閣僚の首が飛ぶ」クラスの話は絶対してる。となると、麻生の首しかないわなー。
まあまだわからん。しかし、世論が政権を揺さぶってるのは確か。昨日から(いまごろになって)僕に「こないだの国会前、どれぐらい人がきた?」とマジに聞いてくる与党議員が増えてるのも事実。ようは政権は、「財務省の描く安泰シナリオ」と「世論の突き上げ」の股裂にあってるわけ。
これですよ。僕が一年待ってたのは。これでないとどうにもならんの。
安倍政権発足後、はじめて、「政権が世論をビビる」という状況ができた。財務省の鉄壁シナリオを崩せるのは、世論しかない。
諸君。今が攻め時ぞ。
次号は、「例の自殺の話の不思議さ」について。
ではでは。」
要するに世論の批判の高まりですね。
それは当然ですよね。 しかし、なんか変に日本人が大人しくなっていますから、ここは一発、腹の底から怒らないと! ね、皆さん!
尚、彼のツイッターが、ゲリラ的に復活しています。 是非フォローしてしてください。
さて、42年ぶりに再会した安西先生もご存知の怪人岩井君と昨日は楽しい飲み会をしました。
大学4年頃か、彼が、僕の下宿に夜中に突然来て泊めてくれと言ったのを僕が断ったため、安西先生の下宿に行って泊めてもらったことがあることは知っていましたが、昨日彼から聞いた話では、それ以外も何回かあったらしいです。 安西先生、ご迷惑おかけしました。
彼は、高校時代から彼を慕うすごいきれいな子がいて、彼が中大卒業後司法試験浪人中に、いわば押しかけ女房とし上京して来て、結婚したのですが、いやあ、美女と野獣と言うか、男女関係の不思議に僕ら純情青年は目が回る思いをさせられましたねw
その後、奥さんが妊娠したため、司法試験をあきらめ、地元兵庫県警察の警察官になり、幹部になったことは10年に一度かかってくる電話で知っていました。 それにしても今回彼の知人に九州での事件の弁護士探しに僕を推薦してくれ、ありがとうね。
そのうえ、警察学の論文に、中大の刑事法学者渥美東洋先生の業績記事が載り、その中で、この僕のこのブログの中の記事の紹介がされていることが分かりました。 驚いたなあ。 要するに渥美東洋先生は当番弁護士の生みの親でありながらそれを自慢しなかった偉い先生だということです。その論文の全文はリンク先の添付書類を開けてください(同論文の4ページ目・同警察学の132ページ以下、「2政策への志向」の⑵「大分県弁護士会による当番弁護士制度創設への貢献)。
僕のブログ記事は、この論文の脚注でわかりますので検索してくださいね。
いやあ、懐かしく、楽しい一夜でしたw
はーい、今日はインターネットTVの梯子と読書と昼寝で一日を過ごしました。
で、午後3時からは、夕方の散歩時間を繰り上げて散歩開始。
暖かくて気持ちいい日差しの中の散歩で、少し汗もかきました。
ではそのとき撮影した画像を紹介します。
先ずは、出発前、家の水仙の画像です。
では出発。 迷ったのですが、先ずは家を出て右手の方、薬師堂に向かった歩きました。
で、薬師堂踏切の両脇の方にあるサクランボの実がなる桜の様子と踏切の様子を。
それから引き返して古国府駅付近の菜の花をw
はーい、その後家に帰ってくると、勝手口付近の椿が新たに一輪咲いていましたw
と言うことで、今日の一日が終わってゆきます。
今日は、7年前、あの恐ろしい地震と津波、そして原発の爆発に続く災厄の起きた日です。
おおくの亡くなった方とその遺族の方、いまだ家を奪われたままの方、家族離散の中、苦しまれている方々、僕らは常にあなた方のそばにいますよ。 決して忘れません。 どうぞ、お元気で。 ともに日の中、この日本で生きていきましょうね。
では、皆さん。 また!