我々の置かれている位置の確認として

 気になった言説を二つ紹介します。
 先ずは、菅野完レポートです。
「さて各位。

今日のメルマガは、先日、月刊日本に収めた次月号の原稿の転載です。
月刊日本編集部より、ご許可いただき転載します。

今月末あたりに書店に並ぶ予定の原稿ではありますが、今日これを皆さんに流すのは、今日のうちにこれをぜひ読んでもらいたいから。

うちの事務所ではいま、皆で手分けして、コロナウイルス感染者数のZグラフを作成しつづけています。Zグラフはサラリーマンならおなじみの「その数字が増加傾向にあるかを可視化するツール」です…ってそんなこと説明せんでもええわな。子供やないねんから。

で、今日段階のグラフ見て、「日本は今日に至っても、減少傾向にない」と断言するに至りました。
東半球の各国で、「今日現在でも減少傾向にない」国って、おそらく日本だけじゃないですかね?
おそらく、今日あたりから、中国と韓国の新規感染者数は、日本の新規感染者数を下回ってくるはずです。

これはやばい。

で、月刊日本の原稿では、「今回の病魔の教訓」的なことを書いております。
ぜひ、「どう言う視点で、今回の病魔を観察すべきか」の参考材料として、お読みください。

なお。事態が事態だけに、本日、20:30ぐらいから、

http://em-tr261.com/L82710/b2665/13411

にて、動画による解説も致します。
お時間おありの方は、ぜひご覧ください。

では、以下、転載です

—-

あの日から9年後の、「あの日」。仙台市の慰霊祭会場となった宮城野体育館をいきかう人影は、まばらだった。
「新型コロナウイルスの感染拡大防止および今般の政府主催による東日本大震災追悼式の中止方針を受け、3月11日(水曜日)に予定していた東日本大震災仙台市追悼式は規模を縮小して開催し、献花のみを行います」と仙台市がしきりにアナウンスしていたこともあろう。しかし、その献花すら少ない。追悼式に合わせて運行されている臨時バスだけが誰も乗せず空く往復するばかりだった。
 
閖上、荒浜、仙台市や名取市周辺の震災モニュメントを一通りまわってみたが、どこも同じような光景。例年ならばあの日のことを忘れまいと集う人々の姿を目にするところだが、今年ばかりは、どこを巡っても人がいない。

 その前日、3月10日は、75年目の「あの日」だった。今年も例年通り、あの日、紅蓮の炎に巻き込まれ亡くなった方々のご遺族や、辛くも一命を取り留めた方々、そして、秋篠宮ご夫妻や東京都知事などの来賓が一堂に会し哀悼の誠を捧げるはずだった。しかしこちらも今年は規模縮小。慰霊祭の会場である墨田区の東京都慰霊堂には、遺族代表数名だけが集まるのみにとどまったという。

 東京大空襲や東日本大震災のみならず、春から夏にかけ行われる数々の慰霊祭ー沖縄、広島、長崎、そして8月15日ーは、おそらく今年はどこも、規模縮小のうえ挙行されることとなるのだろう。この列島に住むものとして決して忘れてはならない慰霊の日ではあるが、いまこの列島を襲うコロナウイルスという病魔の前では、致し方のないことなのかもしれない。

 今この列島を襲う新たな悲劇は、これまでの悲劇と全く違う性質を有している。東京大空襲も東日本大地震も、沖縄、広島、長崎も、これまで日本を襲った様々な悲劇は、「日本だけ」の悲劇であった。一方、今回の病魔は、世界中を同時多発的に襲う悲劇。同じ悲劇に、世界中の国が、同時に襲われるという点にこそ今回の悲劇の特徴がある。

 世界中の政府が、同じタイミングで、同じ種類の病魔と戦うことと余儀なくされるのだ。当然のこととして、各国の対応は横並びにしかも科学的に検証されることとなる。そして、そのことに気づいた各国は、内国的な防疫対策と同時並行的に、自国の対応についての対外アピールに余念がない。

 例えば中国。コロナウイルスを発生させた当事国でもあり、どの国よりも多くの感染者数が発生した中国だが、都市圏の完全封鎖を含む徹底した封じ込め作戦と消毒作業の結果、最も早く「新規感染者数が回復者数を下回る」という記録を達成するに至っている。それと同時に、ニューヨーク、パリ、ロサンゼルス、ロンドン、ベルリンなど、世界の主要都市に駐在する領事等の外交官をその都市の主要メディアに登場させ、中国国内での取り組みがいかなるものか、そしてそれが世界にとってどのような教訓的価値をもつかを説明させつづけている。

 例えば韓国。韓国国内でかねてから特異なカルト集団と目されていた某信仰宗教団体の集会がクラスタ化したこともあり、また、元来、中国大陸からの渡航者も多いということもあり、瞬く間に全土に感染が広がり、一時は「中国を除けば、世界一の感染者数」という不名誉な記録を持つこととなってしまったものの、韓国はその点を逆手に取り、「韓国の感染者数は、迅速な検査体制があればこそだ。この数字を元に政府が対応を練るのだ」「この迅速な検知体制こそ世界が学ぶべきものだ」と対外的なアピールに余念がない。その結果、韓国政府が採用する例のドライブスルー型検査など、韓国の手法を導入する各国が増えつつもある。

 例えばドイツ。メルケル首相は、ドイツ国内の感染拡大が市中感染に移行したとみるや「全国民の70%が感染する可能性さえある」と最大限の警告を発した。彼女には珍しくここまで踏み込んだ発言をしたのは、感染者検知体制と経済対策を挙国体制で取り組まなければならないという意気込みの現れでもある。

 例えばイギリス。ボリス・ジョンソン首相は、当初、コロナウイルス対策に高を括っていた節があったが、それでも国内流行が明確になるやいなや、内閣の総力をあげて取り組むことを表明した。驚くべきは、その予算措置の迅速さだ。イギリスでは、この2月、人事問題でジョンソン首相と対立したジャビド財務相が突然辞任したばかりで、3月11日に予定されていた国会への予算案提示さえ危ぶまれていた。ところが、ジャビド氏の後任となったリシ・スナク新財務相は手堅く予算案をまとめ、予定通り3月11日に国会に提出。しかもその中には、総額300億ポンド、日本円で4兆円規模となる新型コロナウイルスの対策が盛り込まれていた。その内容は、自主休業した勤労者への直接補償や、冷え込む需要によって経営が悪化し
た中小企業への助成金、そして医療体制拡充を目途とした全国の医療施設への巨額の助成金など、申し分のない内容。イギリス政府の本気度が窺い知れよう。

 翻って、我が日本は…。

 残念ながら、特筆すべき点はない。

 なにもこれは、出羽守よろしく「諸外国の事例は先進的である」と称揚し、自国を卑下したいからではない。事実そうなのであるから、「日本の取り組みに特筆べきところがない」と言わざるを得ないのだ。。

 このところ、仕事場のテレビでCNN,BBC,FOX,アルジャジーラなどの海外メディアをかわるがわる流し続けている。どの国のメディアも、コロナウイルスが世界共通の脅威であると認識しているためか、自国政府の対応と他国の事例を並べて紹介するのが一般的な伝え方になっている。とりわけ、中国の徹底した防疫作業と、韓国やマカオの虱潰しともいうべき検査の徹底ぶりはどの国のメディアも「先進事例」としてこぞって取り上げる。日本では「最悪の結果」として報道されることの多いイタリアの事例でさえ「いかにイタリアが挙国体制で取り組んでいるか」と好意的に取り上げられるほどだ。

 しかし、どの国のメディアをみても日本の取り組みが「先進事例」「ベストプラクティス」として紹介された試しはない。むしろ、ダイヤモンドプリンセス号の対応や、他国に比べて異様にすくない感染者数を元に「検査を実施しないために、暗数にまわっている。余計にリスキーだ」と「嫌疑事例」「失敗事例」として取り上げられるのが関の山といったところが実情である。安倍首相が自信たっぷりに表明した「一斉休校措置」でさえ、諸外国の事例としては当然すぎる措置として扱われているにすぎない。

 それも当然とも言えよう。2020年冒頭、世界を同時に襲うこの病魔と、日本は、公文書改竄、統計偽造、決裁を取らない法解釈変更などを常套手段とする為政者をトップに戴きながら戦わざるを得ない。かつて東條英機は「神武以来の天才」と評されたというが、その顰みにならえば、今の我が国の首相は「神武以来の無能」。しかもこの「神武以来の無能」は、先述のように、自分に都合の悪い情報を改竄し隠蔽することを得意とする、嘘つきであるときている。こうしたことが露見した森友、桜、検察官定年延長などの諸問題は、当然、諸外国にも報道されており、むしろ、日本国内のメディアより、海外メディアの方が安倍政権に対して辛辣な批評を加えているほどだ。その結果、どの国のメディアも、日本が対外的に
発表する数字や情報を額面通り受け取ることなどもはやなくなってしまった。これでは我が国がいかにこの病魔と戦いを対外的に喧伝しても、誰も相手にしないだろう。パンデミックを宣言した際に、WHOがリリースした文書に、中国、韓国、そしてあのイランさえもが「真剣な取り組み」として言及されているのに、日本については一切の言及がなかったのも、当然のことだろう。

 東京大空襲、東日本大震災、沖縄、広島、長崎、そして8月15日。春から夏にかけて打ちつづく慰霊の日々は、日本に住む私どもにとって大切なものだ。慰霊のたびに、我々は、亡き人への哀悼の誠をささげ、同じ過ちを繰り返さないことを誓ってきた。しかし、そうすることによって、我々の中にいつぞや「日本は災禍に強い国。耐えられる国」との意識が自然と生芽生えてはいなかったか。

 だが、もはやそれは思い込みに過ぎない。今回の病魔が、日本の対応を否が応でも世界各国の対応と横並びにしてしまった結果我々は今、日本ほどは災害や戦災に慣れてはいないはずの国の方が、日本より遥かに非常時に強いという、救いのない現実と直面している。いや、むしろ、日本の非常時対策は、検査数を抑えることで感染者数を低く見せるという「大本営発表」と、この期に及んでも政府当局が咳エチケットの励行などを訴えるという「B29に竹槍」しかなく、75年前のあの日から何も進歩していないという極めて悲しい現実と直面していると言う方が正確なのかもしれない。

 75年前の教訓が、いや、たった9年前の教訓が、政府の非常時対応・防災対応に確実に活かされているのか、今一度、批判的に検証するほかあるまい。そうでなければ、神武以来の無能を宰相として戴くこの国難との戦いが、またぞろ「反省なき敗戦」だけになってしまうであろう。

ーーー
転載、以上

では。また後ほど。

 次は、小林よしのりです。
「”第364回「コロナに対する哲学」”

 来る日も来る日も朝から晩まで新型コロナウイルスの話題ばっかりなので、せめてライジングくらいは話題を変えたいところなのだが、これだけいろんな人がしゃべりまくっていても、わしの考えるような本質的な話が一切出てこないのだから仕方がない。ここで語っておくしかなかろう。

 安倍首相が「対策やってるふり」のパフォーマンスのために思いつきで言い出した「全国一斉休校」のせいで、日本中が大混乱となっている。
 そもそも小中高校を一斉休校にして、イベント等も軒並み自粛させるくらいなら、”高齢者施設だって一斉休業にして、老人を自宅に帰して籠らせなければおかしい。”高齢者ばっかり集まっている施設で感染者が出たらあっという間に感染が広がってしまい、そのリスクは学校の比ではないのだから。
 ところが高齢者に対する感染防止策はほぼ皆無のままで、国会ではなぜ対応をしないのかという質問が出ると、自民党の議員が”「高齢者は歩かないから」”とヤジを飛ばす始末だから、もう無茶苦茶である。
 さらに言えば、”最も感染リスクが高いのは通勤ラッシュの満員電車であることは誰の目にも明らかなのに、その対策も全然ない。”
 安倍は外交でも経済でも憲法改正でも、実際には何もやらず、やる気もないのに「やってるふり」だけ見せて7年間支持率を維持してきたが、今回も同じことである。

 そしてまたもや安倍が「対策やってるふり」パフォーマンスの思いつきで突然言い出したのが”「中韓からの入国規制」”、事実上の入国拒否である。
 今回も政府対策本部の専門家にすら一切相談もせずに決めたらしく、専門家からは疑問の声が相次いでいる。
 ”入国拒否は「水際対策」が有効な時期ならありうるが、本当にそれが必要な時期に、政府は逆に春節のインバウンド需要を見込んで中国人観光客を大量に入国させまくってしまった。”
 今さら入国拒否をしても、既に国内に感染が広まっているのだから効果は薄く、今は国内の対策に力を入れるべき時期に入っている。”しかももはや感染地域は世界中に広がっているのだから、本気で入国拒否をするのなら、中韓に限らず世界中の感染国を対象にしなければならなくなる。”
 そもそもなぜいまこれを決めたのかといえば、”「習近平の来日延期が決まり、中国に配慮しなくてよくなったから」”だというのは見え見えで、少しは真面目にものを考えろと言いたくなる。
 それでも「羽鳥慎一モーニングショー」の玉川徹は、タイミングが遅すぎることは指摘しつつも、「取れる措置は全て取るべきだ」として、今回の規制自体は支持。玉川は全国一斉休校についても、現場の混乱が報道された後になっても「正しかったと未だに思っている」と安倍支持を表明している。

 そんな大人の都合に振り回されている子供もいい迷惑だろう。テレビでは小学校低学年の子がインタビューを受けて、こんなやり取りをしていた。
「学校が急に休みになってどう思った?」
「まさかって思った」
「休みはどうするの?」
「どうせばあちゃんち送りになるから…」
 祖母の家に預けられるのが「ばあちゃんち送り」で嫌だとは、この子にとってばあちゃんちって「収容所」か「刑務所」みたいなものなのか?と笑ってしまったが、ここは子供の言い分を聞くべきであって、いま子供を「ばあちゃんち送り」になどしてはいけないのだ。

 WHO(世界保健機関)の調査報告によれば、[新型コロナウイルスによる子供の感染例は少なく、19歳未満の感染者は全体のわずか2.4%で、感染しても症状は軽いという。]
 ”だが高齢者や持病のある人は重症化や死亡のリスクが高く、80歳を超えた感染者の致死率は21.9%と、5人に1人以上にもなる。”
 子供は感染率が低く、感染しても無症状か軽症で済むのだから、普段通りに学校に通わせておけばいいのであって、それを休みにして祖父母の家に預けさせたりして、もしもその子が無症状感染していたら、わざわざ高齢者を感染リスクにさらすことになってしまう。
 つまり「ばあちゃんち送りは嫌だ」という子供の言い分は、エゴイズムのようでいて、結果的に非常にパブリックな意見になっているのだ。
 ばあちゃんちに行きたくないという子供の声は全く正しい。子供って、非常に立派なことを言うなあと思ったものである。

 若者はエネルギーがあり余っているものだから、ひきこもりでもない限り、体調も悪くないのに急に学校が休みになったら、家で一日中じっとしてなどいられるわけがない。やっぱり、カラオケやゲームセンターなどアミューズメント施設に出かけて遊んでしまったりするのだから、これでは休校にする意味など何もない。
 [北海道の感染状況を調査した専門家によれば、活発な若年層がリスクの高い場所で気付かないうちに感染し、無症状もしくは軽症の状態で道内各地に移動して、高齢者に感染させたと考えられるという。]
 これを受けて政府の専門家会議は、「若者は重症化リスクは低いが、感染を広げる可能性がある」として、若者に対して活動の自粛を求めている。
 しかし、老人が感染したら死ぬかもしれないから、若者が我慢してじっとしてろと行政が言うなんて、とんでもないことだとわしは思う。

 ましてや、当の老人が若者に対して自粛を求めたりしようものなら、あまりにもエゴイズムむき出しで、わしは恥ずかしくてたまらなくなる。”活気に満ちた若者に対して、「自分が長生きしたいから、お前らはおとなしくしてろ」だなんて、わしにはとても言えたものではない。”
 わしだって前期高齢者の老人である。ほんの少し前の時代までは「人生50年」なんて言われていたもので、人間、65歳もすぎたら「余命」で生きているようなものだと思っている。
 ”70、80にもなったらそれこそ「余生」であり、オマケの人生と思っておくべきだ。それをもっと引き伸ばしたいから、10代、20代の若者に活動を控えろなんて言うのは、あまりにもみっともなさすぎる。”
 本当は、たとえ自分に命のリスクがあろうとも、未来のある若者には存分に活動させてやれと言うことこそが老人の矜持であり、それが美意識というものである。

 老人で基礎疾患のある人は、新型コロナウイルスが伝染ったら死ぬ。たとえ老人でも、まだ健康な人は回復する。それは、寿命というものだ。
 人生、無駄に長生きだけしてたって意味はない。”基礎疾患が元で死ぬんだったらそれが天命で、自然死として受け入れるだけのことである。”
 それは新型コロナに限らず、インフルエンザでも同じことだ。
 [インフルエンザは昔から”「高齢者の最後の命の灯を消す病気」”と言われている。]インフルエンザウイルスが直接肺炎を引き起こす確率は低いが、高齢者はインフルエンザで弱まった喉や気道から細菌が二次感染して、細菌性肺炎によって死に至るケースが多い。また、インフルエンザ感染をきっかけに寝たきりの高齢者が心筋梗塞を起こすといったケースもある。
 毎年高齢者を中心に多くの人が季節性インフルエンザの感染によって死んでいるが、その多くはインフルエンザが直接の死因ではなく、インフルエンザをきっかけに別の原因で死亡しており、これを”「インフルエンザ関連死」”と呼ぶ。[日本ではインフルエンザを直接の原因とする死者数は年間3000人程度だが、これにインフルエンザ関連死を加えると年間1万人超にもなる。]
 老人はインフルエンザに罹ったら死ぬものだ。新型コロナも同じこと。老化やもともとあった基礎疾患のために耐えきれずに死ぬだけのことで、全くの自然現象なのだから、大騒ぎするようなことではない。

 若者の抱えているエネルギーは、発散させてやらなきゃしょうがない。ライブでも何でも行かせればいい。なぜそれを自粛させなきゃいかんのだ? そんなことをやってたら社会から活気が失われ、経済活動が完全に滞ってしまうじゃないか。
 自分の孫なんかが、ライブに出かけるのを楽しみにしているのを見て、自分に新型コロナが伝染ったら死ぬじゃないか、ライブなんか行かずに家に籠ってろなんて言えるじーさんばーさんなんかいるのだろうか? もしいたとしたら、単なるエゴイズムの塊で全くパブリックがないということになる。
 ”若者のエネルギーを封じ込めてでも老人が生き永らえたいというのは、老醜というものである。”
 命よりも大切なものはある。いい年まで生きた老人は、自分の余命よりも若者の活気の方を大事にしてやらなければならない。そのくらいの哲学を長生きした人間なら身につけておくべきだ。

 [ところが玉川徹は、自分が若い頃だったら自粛しろなんて言われたって聞かなかっただろうとした上で、「強制的に法律を使って映画館なりライブハウスなりある一定期間は強制的に締めてくださいっていう指示を出すしかない」と提言していた。]
 とにかく「命が一番大事」という価値観しかないから、「若者の活気よりも老人の命」なのである。
 玉川には「命よりも大切なものがある」という哲学は死んでも理解できないし、そんな人が多すぎるからこんなに大騒ぎになるのだ。
 ”価値基準に「科学」と「生命至上主義」以外には何もないからこうなるのであって、この問題に一番欠けているのは哲学であり、美意識である。”

 若者は治る。子供も治る。寿命が来た老人は死ぬ。
 新型コロナなんかたったこれだけのことであり、寿命が尽きた人だけ始末してくれるのだから、こんなに都合のいいことはないのに、何を恐れているのか全然わからない。
 中国では、新型コロナウイルスで50?60代の人も多く亡くなり、30?40代の人の死亡も報告されているが、おそらくこれは武漢などで医療崩壊が起きた影響だろう。今のところ日本では高齢者の死亡しか報告されておらず、医療体制が維持されている限りは高齢者だけの問題だと言っていい。
 ただしこれがエボラ出血熱のように、毒性が強い感染症なら話は別である。若者だろうと健康な人だろうと、罹ったら全身から出血してのたうち回って血みどろになって死んでいくとなれば、それはもちろん怖いに決まっている。
 そう考えれば、まだ新型コロナ程度でよかったとさえ言えるほどで、今後はもっと怖いウイルスが日本に入って来る可能性だってある。それならなおのこと、インバウンド消費で景気浮揚だなんてくだらないことを言っている段ではないのである。

 玉川徹なんか、自分が礼賛したグローバリズムがウイルスを呼び込んだということにすら、未だに一切気づいていないほどの超バカなのだから救いようがない。
 [玉川はついこないだまで中国・韓国人入国大歓迎、インバウンド需要万々歳とか言っていたのに、今では一転して、中国・韓国人入国拒否支持、インバウンド需要よりわれらの健康だと、躍起になって言っている。]
 ”しかも、政府の強権発動には誰よりも強く反対する反権力の人だったはずなのに、今では政府はどんどん強権を発動して自由を制限しろと、誰よりも強硬に唱えている。”
 単なる生命至上主義と科学合理主義しか頭の中になく、哲学ゼロの世界に生きているからここまで見苦しく右往左往して、恐れおののいていなければならないのだ。
 生命以上の価値があるということさえ理解し、覚悟すれば何も怖くはない。
 わしには喘息という基礎疾患があるから、新型コロナウイルスに感染したらもうひとたまりもない。その時はその時、罹ったら死にゃいいやと思っているだけだ。

 ……と思っていたところが、なんと喘息の治療に使われる吸入タイプの薬が、新型コロナウイルスによる肺炎に効いたという報告が日本感染症学会のウェブサイトに載ったという。その薬はわしにも処方されている。だったら、わしはコロナには罹らないんじゃないか?

  [画像]https://bmimg.nicovideo.jp/image/ch1014/559074/3efb8af210647837d2beca4f88dda149f1ab6447.jpg

 ”わしはとっくにいつコロナで死んでもいい覚悟を決めていたというのに、どうやら死ねないようだ。”
“ わしは喘息なもんで、効く薬を毎晩吸入してますんで、罹るに罹れませんということになってしまいました。申し訳ない。”

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[画像]https://bmimg.nicovideo.jp/image/ch1014/559062/d0341ad05fcd097fda3efd17d8490d73efe0402c.jpg

如何ですか?

投稿者: mitsui

福岡県久留米市生まれですが、一つのときから大分で育ち、ほぼ生粋の大分県人です。 家業が屋台のおでんやでしたので、おでんの産湯で育ったとお想い下さい。小学生の頃の夢をかなえた幸せ者ですが、その分夢現の境無く事件に追われまくっている毎日です。 それでも、被害者支援をライフワークとして最晩年を過ごせる喜びはまた深いですよ。 

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