自分で選んだ疾風怒濤の中へ、いざ征かんw

 何だか、毎日頑張りますを言い続けていますね。  それにしても、6月から先週まで、ほんとに苛酷な日々でした。  能力が無いのもあるんだけど、事件自体が少なくなっている=難しい事件が残っているという面があるようです。 何せ、四十年前は、例えば大分地裁の本庁の民事事件数が年間1500件ぐらいあったのが、最近は500件前後に激減しています。 それは何故か。 簡単な事件は、裁判前の仲裁手続きで解決したりしている可能性がありますが、企業も個人も、この30年間のデフレ不景気で、裁判を起こすほどの体力がなくなっているのかもしれません。 で、とにかく難しい事件の準備書絵面や尋問が続き、日時を間違えてしまうありさまです。
 こんない忙しい日々は、当時戦後6番目に大きな田中産業の倒産・民事再生事件と、野津の隣家の少年による一家殺傷事件以来ですね。  それでも、昨日今日と久しぶりにゆっくりできましたw ホッとしています。

 唯、予断を全く許さないのが、平成29年に起きた中津江村での殺人未遂事件の加害者が、心神喪失で刑事事件とされず、今月医療観察施設から退所し、地元に戻ってくると一方的に警察より告げられ、被害者と集落の方が、恐怖に戦いていることに、被害者支援センターとして何ができるかと言うことですね。 
 取りあえず、法務省などに地元の理解を得ることもせず、一方的に済ませるのはおかしいのでは、そんなことでは加害者自身の社会復帰も望めないではないかと、上申書と言う名の抗議書を13日に送りました。  現在オリンピックのために郵便の遅配状態にもかかわらず、先週金曜日には、大分の保護観察所から説明したいとの連絡があり、あれこれやりくりをして、あってみると、これが役人意識丸出しで、医療観察法を教えてやると言う態度でした。
 で、つい頭にきて、被害者基本法で、被害者支援は先ず国の責務ではないか、そんな態度では、加害者の社会復帰のための調整=地元の理解と受け入れもできないではないかときつく抗議しました。
 一応持ち帰って検討するの言質は取りましたが、まったくなあ。  予断は全く許しません。   頑張らねば。

 さて、今日の夕刻、県社会福祉協議会の若い友達のお別れの会に行ってきました。 56歳。 奥さんと子供二人を残し、さぞかし残念だったでしょう。 しかし、FBを見ると、その運命を受け入れ、奥さんと見事な別れをされていました。  見事なものです。
 そんな彼の魂と見上げた夕刻の空が、これです。

 また、あの世で飲もうね。 しばしの別れですw

 さてさて、昨日今日の画像を一挙公開します。
 疲れてきたので許してね。
 先ずは、昨日から。

 次は、今日。 朝は雨で散歩していまぜん。

 と言うことで、今週もよろしくねw またねw

投稿者: mitsui

福岡県久留米市生まれですが、一つのときから大分で育ち、ほぼ生粋の大分県人です。 家業が屋台のおでんやでしたので、おでんの産湯で育ったとお想い下さい。小学生の頃の夢をかなえた幸せ者ですが、その分夢現の境無く事件に追われまくっている毎日です。 それでも、被害者支援をライフワークとして最晩年を過ごせる喜びはまた深いですよ。 

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