コロナ世を 徒然に

 何かね、つい2か月ほど前には予想もしなかった時代に突入しました。  第一,IMFの専務理事が1929年の世界恐慌以来の破局と言うのですから。  まさか、僕が生きている間に、世界恐慌が見れるなんてこれっぽちも考えたことがなかった。 学生時代に、世界資本主義はやがて破綻する、その時が世界革命の時だという党派があって、経済決定論者、アホやと言っていたのがね、
 それにしても、このコロナによる時代の鬱感は相当な重圧で、精神の均衡を保つのが難しいです。 皆さんはどうやって過ごしますか。  酒に酔って憂さを晴らすことは難しいし。

   コロナ世は 出歩くなかれ 諭す子ら

 結局、困難さから逃げ出さず、生きることとは何か、死ぬこととは何か、考えて考えて、考え抜く以外にありませんね。

   コロナ世に 哲学のみが 我をたすく
   人は皆 死するさだめ コロナ世も

 と言うことで、今現在のコロナ世に、自らの考えや感じ方を対象化し、それに徹するために、毎日川柳を作ってみることにしましたw  へぼもへぼですがw 

 さて、土曜日の朝散歩から。
 

 今年は桜が結構持ちましたので、つつじの開花が間に合いましたね。

 コロナ世に つつじ見送る ゆく桜

 コロナ世も 千年の慈悲 抱かれて

 はい、夕方散歩はいろんな花に出会いました。  いやあ、きれいだったねw

 花々は われ関せずと コロナ世に

それにしても、政府のこの体たらくは、何ということでしょうね。
少し辛辣ですが、次の句などを。

 コロナ世は 無能統領 炙り出し
 コロナ世に さめぬ悪夢 布マスク
 コロナ世よ せめて流せよ 人の悪

 あまりのことに、ネットゲリラさんのこの記事に投稿してしましました。

 豊後魂 | 2020年4月12日 13:08 | 返信
彼は中学・高校の後輩で東大卒なのですが、学歴よりも何を考え、何を課題に格闘してこれまで生きてきたのか、いつも疑問に思ってきました。政府などの権力機構が、生活者の生きる手段=生業を自粛して放棄してほしければ、そうしても生きていけるように、お金を渡して補償をしなければならず、補償しなければ生活者は生きて行けず死ぬと言うことなのだから、生きる手段=生業を手放すはずはありませんね。 生活者として当然です。 そんな虫けらのように生活者から生業を奪い死ねと言うのであれば、生活者にとって、政も国家も不要で、むしろ敵対物となります。今何が大切か。感染率が高く、致死率が高いため、未曾有の恐怖に怯える人々に対し、何とか不安を鎮め、集合免疫確保のために70パーセントの感染が必要だとし、その間の致死率が2パーセントとすれば、約168万人の国民が死亡し、国家財政の苦境どころか、国家再建の可能性をつぶしかねなず、国自体が瓦解する悪夢を回避するために、新コロナ感染を最小限度に抑制するための対策が必要であり、そのための休業であり、その要請で有り、補償をすることでしょう。 こんなことは東大や高校卒でなくても、たやすくわかるはずの理です。 それなのに、彼がそれをわからないというのは、彼は市井の生きる人=生活者のための政を考えたことはないと言うことなのですね。 幸いわが地元はそれを見抜き、昨年の選挙で彼を落選させています。 郷土と母校の名誉のため、それなりに良かったと思っています。お後は、山口と福岡の方々にバトンはタッチされていますねw

はーい、今日の散歩は、雨で中止、ではなくお菓子を買いに行きました。

 
我が家の山桜桃に身がw
で、こんなにお菓子を買いましたw

 コロナ世に 酒無く菓子を 貪りぬ

 さあ、このような時こそ友情を、愛情を大事にすべきです。  僕は、心底大事にします。

  コロナ世に 固きも固き 我が腕
  
  コロナ世に 立ち向かいし 守れ旗

 いかんなあ、どうやらあの時代がよぎります。

 腕は、「かいな」ですね。 スクラムの際、固く結ばれた「腕」です。
「旗」は、友情でも、被害者でも、自分が断固として守るべきものを入れましょうね。

 さてさて、今週は、デモクラシータイムスのこの番組と、デモクラtvのこの番組を是非見てください。 今、必見ですよ。    

 本は、この本が感慨深かったです。

この「沈黙の子供たち」は、家では善き父である軍人が、どうして民間人を子供を虐殺できたのか、それをアウシュビッツ、ゲルニカ、南京事件、原爆などを通して考察します。  そしても最も大切なことは、命令で良心をごまかすことを許さないことを説きます。 ドイツ軍刑法の抗命権と言う重要な指摘をしていますね。 著者は若いのに大したものです。

 ではでは、皆さん。  コロナ世のこんな時代でも、どうぞよろしくねw

投稿者: mitsui

福岡県久留米市生まれですが、一つのときから大分で育ち、ほぼ生粋の大分県人です。 家業が屋台のおでんやでしたので、おでんの産湯で育ったとお想い下さい。小学生の頃の夢をかなえた幸せ者ですが、その分夢現の境無く事件に追われまくっている毎日です。 それでも、被害者支援をライフワークとして最晩年を過ごせる喜びはまた深いですよ。 

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