先週3月に亡くなった長松謙哉君の奥さんから突然お便りをいただきました。 家族のように夫の死を悲しんでくれてありがたかったと書かれた後、二つのことが記されていました。
一つは、夫の好きだったお酒残っており、残された家族は皆さんお酒を嗜まないので、舞鶴同級の一土こん会でお飲みくださいと言うことと、死を悟った謙哉君が綴った「自分史」に、僕が出てくるのでお読みくださいとのことでした。
お酒は僕が預かってぽん太に持って行くことになりました。
しかし、彼の「自分史」は、声をあげて泣いてしまいました。
そこには、こんなことが書かれてあったからです。
、
僕は、彼に僕の気持ちを伝えるため、すぐにFBにこのように書いて投稿しました。
「謙哉の奥さんより、彼が死を悟ってから書き綴った「自分史」が送られてきた。
「もう少し永く生きたいと言う未練はあるが、「我が人生に悔いなし」と言ってもおかしくないと思うが、如何か な。 謙哉」。末尾の言葉に心が震える。その通りだと。 そして、君が僕のことをどう思っていてくれていたか、今更ながら言葉で確認したら、僕の涙は止まらず、枯れることが無い。謙哉よ!謙哉さん。あの世とやらで、飲み明かそうな。僕らの時代の精神に、どんなに僕らが格闘したか、語り尽そうな。 あの残酷で、美しい日々を飲み干そうな。 では、待ってておくれ、謙哉さん!」
うむ、時間の経過は容赦がありません。 だから、悔いの残らないように、謙哉さんのごとく生きなくてはね。
はい、昨日は被害者支援センターの総会も無事終わり、母も元気で一安心でした。
では、昨日、今日の散歩の様子を一挙公開します。
先ずは昨日の朝から。
土曜日夕方はこうです。
で、今日の朝。今朝とも言いますがw
さて、歳をとられて施設に入所し、現在廃屋になるに任せている家の庭に、実をたくさんつけた枇杷の木を見つけて一句。
「瓦抜く 主無き枇杷の 甘かりき」
これは、想像力で詠んだ句です。 ご主人はいないのだから、そんな悲しい枇杷が甘かろうか、甘いはずはない。
実際食べてみると甘かった。 自然は、人の生き死に関係なく、滔々と過ぎてゆく、とひねくれ者をこじらせた僕の駄作です。 勿論実際に食べてはいませんよ。 全て想像の賜物です。 甘くなかったら面白くないでしょう、ねw
夕方は、可憐なバラの蕾や紫陽花が主役です。 and恐ろしいばかりの日差しねw
「近代日本150年」読了。
感想は次回に。
だんだん疲れてきたので、ごめんね。
これから読む本は、これらです。
面白そうでしょうw
ではでは、今週も頑張りまーす。 またまたねwww